【善はやり過ぎると反発を生む?】存在感がある指導者は、あらゆる面で公平を目指す。

2014年02月05日

【善はやり過ぎると反発を生む?】存在感がある指導者は、あらゆる面で公平を目指す。

松下幸之助著『指導者の条件』の一節に、

「指導者はつねに公平ということを考えなくてはならない。利害とか得失、相手の地位、強弱ということにかかわりなく、何が正しいかというところから、公平に賞すべきものは賞し、罰すべきは罰するということをしなくてはならないと思う。
(以上、本より抜粋)

世の中、一つの出来事に対して様々な意見が出てくる。また、自分の見方も時代が変われば、価値観も変わり、意見も違ってくる。日々懸命にやっている仕事も、評価する指導者が変われば、見方も周りの目も変わるのが常です。

民間企業では、評価が時代に合わせて変わって行くのが常識だが、行政組織では通用しない。これでは、組織の発展は望めない。リーダーとは、日々低調のなる機運をどう高めていけるか、為すことよりも存在そのものが、周りをやる気させることが必要と思います。

日々開く、安岡正篤先哲の教示『安岡正篤一日一言』の2月27日の言葉に、人間の生き方があります。

「人間の第一義」

名高い言葉に、how to do good.(如何に善を為すか)ということよりも、how to be good.(如何に善であるか)ということの方が大事である、というのがありますが、人間の第一義は、何を為すかということではなくて、何であるかということである。
(以上、本より転載)


明治維新の英雄「西郷隆盛」の印象を、坂本龍馬は「大きく叩けば大きく響く、小さく叩けば小さく響く」語ったそうです。西郷隆盛は、自分の職能(役割り)に徹した人という歴史家もいます。西郷は、島津斉彬の御庭番から始まり、幕政改革の諜報活動、さらには江戸開城の官軍総司令官、新政府の副総理役、それぞれの職能に合わせて能力を発揮した。

若い志士たちは、西郷隆盛に3回会うと、その魅力に惹かれて離れなかった、と言われるくらい存在感があった。対抗する相手の悪口(誹謗中傷)を語るより、自分の存在そのもので周りを惹きつける存在になるように、自分を磨くことが先かもしれません。なかなか、このような人物とは、まだ出会うことがありません。私のような凡人には、そんな人物は年を取り振り返った時に気づくのかもしれない。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 21:26│Comments(0)日本の歴史、世界の歴史
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