(戦後と憲法)鶴見紘著「白州次郎の日本国憲法」を読んで、

2008年04月09日

(戦後と憲法)鶴見紘著「白州次郎の日本国憲法」を読んで、

~従順ならざる唯一の日本人「白州次郎」~

 昨日の日記で、白州次郎氏のことを書いた本「白州次郎と日本国憲法」(鶴見絃著)を読み、毅然と原理原則(プリンシプル)を盾に、日本人の権利と平和国家を目指し、戦後処理に占領政権と粘り強く折衝をし、奔走した偉人の言葉をいくつか紹介します。

(本文より)
「およそ占領下の思い出なぞ、不愉快なことばかりである。思い出そうとしただけでも、憂鬱になる」(中略)

これを書いた方は、太平洋戦争の戦後、吉田首相の片腕として奔走し、GHQから、従順ならざる日本人と一目をおかれた。

(本文より)
「あのころの日本の政治家や役人ときたら、あちらさんの言うことには、なんでもご説ごもっともで、卑屈になる人間が実に多かった。われわれは戦争に負けたのであって、奴隷にされたわけでもないのに、からきし意気地がなく、どんな無理や難題を吹っかけられて鞠躬如(きくきゅうじんりょくじょ)としてしまうのである」

~日本は負けてはいないのよ。アメリカが上陸するとき、必ず神風がふくんだから~

それまで、すり込まれた国体のイメージは、敗戦でもろくも崩れ、1945年8月17日、終戦の2日後に成立した東久邇内閣の最初の指令は、敗戦の生々しい実態を示している。
「8月18日/内務省通達」占領軍向け慰安婦施設の設置を地方長官に指令。(中略)

従順な、そして善良な被害者たちは、各地で続発する占領軍のレイプ事件に目を閉じ、口を閉ざした。(中略)

<民主主義>にくるまって育ってきた青い瞳の人種が、人権を食いちぎるような暴虐に走るなんて、「そんなはずはない」と新しい支配者は言い、各新聞者に寄せられたレイプ記事のほとんどをねじ伏せられた。しかし、一般の女性を<彼ら>の性欲から守るために、一般から外れた女性を作り出したのは、ぼくらの国家だった。(中略)

「残念ながら日本人の日常は、プリンシプル(原理原則)不在の言動の連続であるように思う」と言いきっている。言われるままに妥協し、自己保身に汲々とする<おとな>たちに、プリンシプルなんて邪魔なだけだ。(中略)


前書きが長くなりました。戦後の混乱期のことを白州氏が語った、「われわれは戦争に負けたのであって、奴隷にされたわけでもない」を行動で示しました。

しかし、現代の官僚・政治家の中にも、当時の卑屈な体質を引きずっているようなことも感じます。

現在、国会の断片的な議論を報道するテレビ、リーダーたちのインタビューのコメントだけを載せる新聞に、私も振り回される民衆の一人ですが、憲法論議を色々読み、戦争を知らない世代が、日本国憲法の実際がどんなものか、じっくり考えて来たのだろうかと思います。

日本国憲法策定についての意見で、「白州次郎の日本国憲法」の一文が一生にに残しました。

(本文、転載)
「三百万を越える同胞を戦争で失って、その何倍、あるいは何十倍もの近隣諸国の人々を殺傷した事実を踏まえて、この憲法はあたりまえだ、当然のことだという意識が、
民衆のなかにあったと思う」

「・・日本国憲法が出て、そこで初めて道標が見えた。それは平和国家、文化国家、そして福祉国家ということです。それを目指し努力して行けば、我々の将来も、何十年かかるか判らんが、再び国際社会へ復帰できる希望があるのだと、この憲法のおかげで国民の足並みの中に、方向と元気が出た。

 この事実を踏まえないで、今ごろになって、あれは占領軍が強制した憲法だから、自主独立でなければいかんなどということを、知ったかぶりして言う連中もいますが、そんなことではないのです」

「何といっても第九条です。戦争と武力の一切を否定してあるでしょう。こういう憲法は世界中でぜんぜんない。大変なことです。この大変なことを日本の人々は、あたりまえと受け止めたところに、戦死者を家族にもつ、もたないにかかわらず、大きな意味があるのではないですか」(『日本国憲法の逆襲』佐高信編/岩波書店刊)(中略)


60年の時を越え、今また改憲論議が盛んになっています。冷戦、テロ戦争と未だに世界から絶えない「戦火、紛争」を否定した憲法九条の意味を、改めて国民が次世代のことも含め、考え、議論することが必要と思います。

年始の新聞に、評論家の立花隆氏が、「冷戦終結のきっかけに、平和憲法下の日本の復興、成長、繁栄があった。」とありました。

白州次郎氏の思いを、現代人が顕彰し、後世に受け継ぐ必要を感じています。


<以前の日記>
・(今問われる)人間としての生き方、社会貢献活動の理念と行動力


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Posted by ノグチ(noguchi) at 18:22│Comments(1)日本の歴史、世界の歴史

この記事へのコメント

憲法”改正”の流れはもう止まらないのでは、と暗澹たる思いがします。
「破局は劇的にやって来るのではなく、日常の生活の中で、徐々に忍び寄るのだ。」安部公房?  たぶん不正確ですが、、、そんな恐ろしさを感じます。

勉強になります。ありがとうございます。
Posted by タービンタービンタービンタービン at 2008年04月12日 00:17
 
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