<学校運営、教室運営を民主主義の学びの場に>優秀な指導者?の恐怖支配、体罰暴言、

2022年12月18日

<学校運営、教室運営を民主主義の学びの場に>優秀な指導者?の恐怖支配、体罰暴言、元教師「俺も若かったけん、本当に悪かった」・・・

最近、学校内ルール「校則」の見直し論が始まっているが、なかなか進展はないように見えます。

今日の熊日一面に「恐怖支配」で、子どもを指導した元教師のことが取り上げられていました。

先週から読んでいる、哲学者の苫野一徳氏と教育者の工藤勇一氏の対談録『子どもたちに民主主義を教えよう』に、以下のことば紹介されていました。

(以下、本より転載)

苫野)とても重要なポイントてす。「自由の相互承認」は、この社会の基本ルールなんです。工藤さん流に家ば、誰もがきっと合意できるはずの、この社会の最上位ルールなんですね。

工藤)ですよね。たとえば麹町中では一斉授業をできるだけやめる方向で動いていて、子どもたちが自分であった学習スタイルを選べるようにしています。だから授業がはじまると友だち同士で教え合う子もいるし、教員から教わる子もいるし、黙々とタブレットと向き合う子もいるし、家から問題集を持ってくる子もいます。そこには確実に自由があるんですけど、ルールもある。「どうやって勉強するかは君たちの自由だけど、他の人の勉強の邪魔をする権利はないからな」って。これってまさに自由の相互承認ですよね。

苫野)まさにですね。この言い方だと、中学生も「自由の相互承認」を十分に理解してくれそうですね。
(以上、『子どもたちに民主主義を教えよう』より)

新聞記事によると、

>数秒以内の星列や大きな声での返事、5分前行動などを強要する厳しい指導。「外からは統率の取れたクラスに見えたと思う」としつつ、「恐怖支配だった。返事の声が小さいと、壁に向かって「はい」と何十回も言わされた」と証言する。
(以上、熊日新聞より)

大人から強制される、7〜12歳の子どもたちには、そのトラウマは後々まで続くように思います。自由のない教室は、ある意味「檻の中」にいるようなものです。

苫野氏の説明にある「自由の相互承認」とは何か?

「みんな自由に生きたいと願っている。でも、自由をめぐって戦争したり、一部の人が大多数の人の自由を奪ったいたら、誰も自由に生きられない。だったら、誰もが自由な存在であることを、お互いに認め合うことを、お互いに認め合うことをルールにした社会をつくるしかない」そうヘーゲルは言ったのです。
 すへての人が、対等に自由な存在であることをお互いに認めあう。そのことをルールにした社会的。これが民主主義の根本原理です。
(以上、本より)

苫野氏、工藤氏の意見を読んだ後に、本日の朝刊をたまたま読み、教師になるための教育に、民主主義の理解が足りていないように思いました。

「自由の相互承認」という、民主主義の根本を、小中学校での実習や初任教師の研修の中で、理解するカリキュラムを、加えることが大事と思います。
 熊日記事とお二人の対談録から、指導力とは何か、保護者の価値観が多様化する中、民主主義の本質を保護者も学ぶ機会を毎年設ける必要があると、痛感しました。

子どもだけでなく、教師も保護者も、学校運営、教室運営を民主主義の学びの場にしなければと思います。

<学校運営、教室運営を民主主義の学びの場に>優秀な指導者?の恐怖支配、体罰暴言、

<学校運営、教室運営を民主主義の学びの場に>優秀な指導者?の恐怖支配、体罰暴言、



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Posted by ノグチ(noguchi) at 10:14│Comments(0)教育問題熊本の出来事私の意見
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