小楠は漢文しか読めない危険な思想家だが、海舟から大統領制を聞き即理解できた。〜司馬遼太郎〜

2021年07月26日

<地方の教育充実を>小楠は漢文しか読めない危険な思想家だが、海舟から大統領制を聞き即理解できた。〜司馬遼太郎〜

昨日は、オリンピックを観戦しつつ、『対談 司馬遼太郎とドナルド・キーン 日本人と日本文化』を読んでいた。

幕末維新のところで、以下のを部分を見つけた。少々引用文が長くなりますが、

(以下、本より)

勝海舟がアメリカから帰ってきて、彼は新知識でおったわけですされど、横井小楠という思想家がいまして、熊本の人ですが、勝海舟とひじように仲が良かった。横井小楠という人は、当時としては相当な危険な思想家なんですけれど、彼は漢文しか読めなくて、オランダ語はもちろん読めない。だから、世界がどうなっているかということを勝に聞きに行くと、海舟はアメリカの大統領制度の説明をするのです。小楠は即座に、「それは堯舜(ぎょうしゅん)の世だな」と言ったそうです。このことで勝海舟は小楠をひじょうにほめているのです。(中略)
 ひじょうによくわかった人たちは「聖人は中国にだいるのじゃない」ということだったでしょうね。
(以上、本より抜粋)

なんと司馬遼太郎さんが、勝海舟と横井小楠との関係、さらに、帰国の会談の中で、中国の孔子が求めた「堯舜の政治思想」についても語っていたとは、横井小楠の理念と思想家としての当時の危険視されたことも含め理解していたことに驚きます。

私は、恩師の高宗昭敏先生のお手伝いを33歳から20年近く手伝ってきました。当初は、熊本の幕末の1人の武士でしたが、だんだんと理解が深まり、勝海舟や坂本龍馬との関係、私塾「四時軒」の活動、さまざまな失敗や福井藩、幕府の改革提言等々、とても幅広く活躍をした横井小楠は、漢文しか読めなかったが、世界の情勢を理解できた、ことはやはりすごい思想家だったと思いました。

この本の中で、教育の最先端は当時地方に在り、それを求めて人が動いた。現代の教育は、権限も発想も中央が握っていて自由度が無い。これも、地方が輝かない原因ではないのか?

横井小楠は、熊本から世界を漢文で学んで理解した。蘭学の最先端は、津和野藩と宇和島藩だった。江戸期の日田に在った廣瀬淡窓の咸宜園には、延べ3千人とも言われる若者たちが、学ぶため訪ねた。

地方こそ、教育を充実させてゆかなければいけないように、昨日の読書から思いました。


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