孔子も畏れた若者とは、どんな人物か?〜人生の三廻り目(24〜36歳)の行動が、後半の人生を決める。〜

2021年12月17日

孔子も畏れた若者とは、どんな人物か?

人生の三廻り目(24〜36歳)の行動が、後半の人生を決める。

【超訳】論語の自分を磨く200の言葉より。

No.103

若者を畏れる気持ち

 若者は年も若いし精力も強いから誠に畏ろしい。懸命に励めば、どうして将来の彼らが、いまの私(孔子)以上にならないといえるだろうか。
 だが、四十、五十になっても彼らの名が世に聞こえてこないときは、畏るるに足らない。
(以上、本より)

孔子先生から見た"若者"とはいくつをいうのか?

>四十、五十になっても彼らの名が世に聞こえてこない

孔子先生が、60代になった頃の話だろうか?

神童と言われていた少年が、大人になって普通の人のなる話は山ほどある。

孔子先生の訓示には、"晩年に何を成すか"についていくつもある。

男であれ、女であれ、中年からどんな学問と活動をしていくか。要は、四十、五十の頃に何をやっているか、です。

最近は、あまり語られないのですが、広告大手の電通四代目社長・故吉田秀雄の社訓「電通鬼十則」を解説した本に、以下がありました。

「24〜36歳に何をやったかで、後半生が決まる」

孔子先生が言われる四十、五十で、世に名が聞こえるには、人生の三廻り目(24〜36歳)に何をやるか、やったか。

長いようで短い人生で、過ごす年代に何を成すべきか、偉人たちの言葉を学ぶ意味はあるように思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:35Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他偉人哲学、人生