何もしなかったら何も起こらない。我がなすことは我のみぞ知る。
2017年10月12日
何もしなかったら何も起こらない。我がなすことは我のみぞ知る。
おはようございます。まだまだ、100キロウォークの足への影響があること、昨夜は久しぶりに議会の重要課題「新庁舎建設」について語り関係者の懇親を深めたこともあり、朝のウォーキングはお休みです。
人生とは重荷を背負って・・・(徳川家康の言葉)
ですが、淡々とルーチンワークだけをやっていては、自分の人生は「重荷だけを感じているばかり」になってしまう。ならばあえて、自ら意識して求める重荷を背負ってチャレンジする方が、心踊る体験や思い出になると思います。
100キロウォークを歩いた約20時間は、私自身と語りながらの時間でもありました。そして振り返るに、日常の早朝ウォーキングの日課から、100キロウォークに出るまでに、歩く練習の距離を伸ばし、朝の4時起きで、最後2ヶ月は3時半起きで、朝のウォーキングを続けている時も、自らと語る貴重な時間でした。
デール・カーネギーの名言集に、以下の言葉があります。
「人生はただ一回きりである。あの世などとどうでもよい。単なる安穏無事な生活を送るより、この世で何事かをやり遂げんと冒険を試みる方が人生にふさわしい」(セオドア・ルーズベルト)
私のやった100キロウォークは、側から見れば「修ちゃんは何ばしよらすとだろうか(熊本弁)」と冷ややかな意見も聞こえてきそうですが、要は自分の人生なのですから、側から何を言われようが、好きに生きた方が良いなと思います。
特に、100キロウォークの参加証が届いてからの約3ヶ月半は、初めての100キロでもあり、不安とチャレンジ心、朝のウォーキング中に、いろいろ考えました。でも、
>人生はただ一回きりである。
ルーズベルトの言葉ではないですが、悔いなき人生を過ごすには、何を言われようが、自らのできる範囲でチャレンジする意識と行動を続けてていけるといいなと思います。
坂本龍馬の「我がなすことは我のみぞ知る」で良いのでは、と思う50台最後の歳です。来年は還暦、同級生たちから「還暦同窓会は、どうするね」の相談が聞こえて来る歳でもあります。
おはようございます。まだまだ、100キロウォークの足への影響があること、昨夜は久しぶりに議会の重要課題「新庁舎建設」について語り関係者の懇親を深めたこともあり、朝のウォーキングはお休みです。
人生とは重荷を背負って・・・(徳川家康の言葉)
ですが、淡々とルーチンワークだけをやっていては、自分の人生は「重荷だけを感じているばかり」になってしまう。ならばあえて、自ら意識して求める重荷を背負ってチャレンジする方が、心踊る体験や思い出になると思います。
100キロウォークを歩いた約20時間は、私自身と語りながらの時間でもありました。そして振り返るに、日常の早朝ウォーキングの日課から、100キロウォークに出るまでに、歩く練習の距離を伸ばし、朝の4時起きで、最後2ヶ月は3時半起きで、朝のウォーキングを続けている時も、自らと語る貴重な時間でした。
デール・カーネギーの名言集に、以下の言葉があります。
「人生はただ一回きりである。あの世などとどうでもよい。単なる安穏無事な生活を送るより、この世で何事かをやり遂げんと冒険を試みる方が人生にふさわしい」(セオドア・ルーズベルト)
私のやった100キロウォークは、側から見れば「修ちゃんは何ばしよらすとだろうか(熊本弁)」と冷ややかな意見も聞こえてきそうですが、要は自分の人生なのですから、側から何を言われようが、好きに生きた方が良いなと思います。
特に、100キロウォークの参加証が届いてからの約3ヶ月半は、初めての100キロでもあり、不安とチャレンジ心、朝のウォーキング中に、いろいろ考えました。でも、
>人生はただ一回きりである。
ルーズベルトの言葉ではないですが、悔いなき人生を過ごすには、何を言われようが、自らのできる範囲でチャレンジする意識と行動を続けてていけるといいなと思います。
坂本龍馬の「我がなすことは我のみぞ知る」で良いのでは、と思う50台最後の歳です。来年は還暦、同級生たちから「還暦同窓会は、どうするね」の相談が聞こえて来る歳でもあります。
Posted by ノグチ(noguchi) at
08:45
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