江戸末期の大地震で命を落とした学者、拾った学者。〜話し合い、忘れ物〜

2016年09月04日

江戸末期の大地震で命を落とした学者、拾った学者。〜話し合い、忘れ物〜

毎週タイミングが合えば見るNHK-BSの「英雄たちの選択」の中心的コメンテーターの国際日本文化研究センター准教授の磯田道史氏の著書『天災から日本史を読み直す、先人に学ぶ』に、幕末の儒家の地震対応で、命を落とした学者、命を拾った学者について書かれていました。

地震発生時の学者家族の対応について

「藤田東湖」
幕末の動乱期に、大きな影響を与えた水戸藩の学者が藤田東湖ですが、あの西郷隆盛が「おそるべき者は東湖一人のみ」と言わしめ、終生敬慕した。

この藤田東湖は、1855年の安政江戸地震で命を落とした。その原因は、家族の“忘れ物”により身代わりとなった。地震が起こり、一旦は家族全員が家から出たが、老母が「火鉢の火を消し忘れた。藤田家から火を出しては主君(忠)に申し訳ない」と思い命がけで家の中へ飛び込んだ。東湖は危ないと母を追った(孝)。そこに家が倒壊し、母はどうにか庭は投げ出したが、本人は崩れてきた鴨居や梁に押しつぶされ亡くなった。

「猪飼敬所」
その前年の1854年に伊賀上野で地震が起こり、その地に住む著名な学者猪飼敬所夫婦の地震対応が紹介されていました。

伊賀上野の地震は、事前に数日前から度々揺れがあったようで、猪飼は妻に有事(大地震)時の対応を話していた。
「小生の家には二人の男子がいる。兄は九歳。弟(小児)は三歳。下男下女のいない家だから、平生から火急の節は、兄の方は小生が抱き、小児は家内(妻)が抱いて逃げる」
この申し合わせが、大地震の時活きた。地震が起きると猪飼夫婦はそれぞれに子どもを抱き、壁の落下、柱か倒れかかる中外へ飛び出た。本人の日記によると、
「今、ひと足、遅れれば死を免れなかったところ天の幸いで逃げられた」

忠孝を貫いて死んだ藤田東湖。
夫婦で備え命を守りぬいた猪飼敬所。

二つの家の歴史が我々に教訓を示していると思います。二つの学者家族の歴史から、

1.事前に家族で地震時(災害時)にどうするか話し合っているか。
2.一度逃げたら、忘れ物は取りに家に戻らない。

藤田東湖の死が、幕末の江戸幕府での水戸藩の進む方向を鈍らせたのではと考えます。著名な学者でもとっさ(有事)の時は、身を危険にさらすことになります。いかに、ふだん(平時)から災害・事件が起きた時にはどうするか? 家族全員が共通意識を持つことが大事だし、事あるごとに確認しておくことも必要です。

三つ子の魂百まで!

海岸近くに住む家族は、三歳になったら「揺れたら(有事)山へ逃げる」の事を常々(平時)子どもに語っておくこと、また何処を目指して走るかも現地確認をさせておくことが大事と思います。江戸時代にも、ちゃんと子どもとともに訓練していた家族がいたから生き延びれたし、教訓を伝承(地震石より下に家を造るな)して東日本大震災の時に被害を受けなかった地区が存在しています。

自然災害はいつ来るかわかりません。備えあれば憂いなし、平時から家族で話し合っておくことの大切さを学んだ気がします。

午後には、台風12号が接近し上陸する予報、早めの避難が大事と思います。ご注意を!  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:08Comments(0)