新知事・蒲島氏が、自民党本部へ県連幹部と謝辞訪問
2008年04月09日
新知事・蒲島氏が、自民党本部へ県連幹部と謝辞訪問
~(熊本知事選)自民党・蒲島氏VS無党派4氏~
4月8日、蒲島新知事が、東京の自民党本部を訪れ、古賀誠選挙対策委員長に謝辞を述べに出かけたと地元紙に載っていた。
今回の選挙は、昨夏、参議選挙の自民大敗を受けて、各候補は「無党派層」狙いの動きが強かったように思います。その中で蒲島氏は、候補乱立を考え、似たような理念を表明しつつも、しっかりと自民党と組んでいたことが、今回の自民党本部へお礼参りを見て、したたかだなと思います。「熊本・夢の会」と言う運動組織であったのですが、実質は自民党熊本県連上げての動きだったように思います。
県下各地への広報は、一番表明が遅いわりには、早かったように感じます。
前任の潮谷県政も、2期ともに選挙の推薦は、自民のみという形でありましたが、潮谷知事自身は、表向き自民党とは少々間隔を置いているよう見せつつも、故松岡農相の選挙応援にはしっかりと出向くところを見ると、熊本はまだまだ自民党と疎遠にしての県民相手の選挙は難しいのだなとつくづく感じます。
県民自身がもう少し地域社会に深く関心を持ち、改革の思いを広げることができる市民活動家になることが必要と思います。
熊日のインタビューの蒲島氏の言葉は、次で締めくくられていました。
(本文より、転載)
「古賀氏の考えは、私の思いと同じだった。4月16日の知事就任まであまり時間がない中、党本部にあいさつできて良かった」と話した。(中略)
今回の熊本知事選挙の真相に迫る蒲島氏の謝辞、党本部訪問が、マニュフェストに掲げた思いをどう実現して行くか、川辺川ダム問題も含め、実行評価に県民が関心を持ちづくつけることが重要と思いました。
~(熊本知事選)自民党・蒲島氏VS無党派4氏~
4月8日、蒲島新知事が、東京の自民党本部を訪れ、古賀誠選挙対策委員長に謝辞を述べに出かけたと地元紙に載っていた。
今回の選挙は、昨夏、参議選挙の自民大敗を受けて、各候補は「無党派層」狙いの動きが強かったように思います。その中で蒲島氏は、候補乱立を考え、似たような理念を表明しつつも、しっかりと自民党と組んでいたことが、今回の自民党本部へお礼参りを見て、したたかだなと思います。「熊本・夢の会」と言う運動組織であったのですが、実質は自民党熊本県連上げての動きだったように思います。
県下各地への広報は、一番表明が遅いわりには、早かったように感じます。
前任の潮谷県政も、2期ともに選挙の推薦は、自民のみという形でありましたが、潮谷知事自身は、表向き自民党とは少々間隔を置いているよう見せつつも、故松岡農相の選挙応援にはしっかりと出向くところを見ると、熊本はまだまだ自民党と疎遠にしての県民相手の選挙は難しいのだなとつくづく感じます。
県民自身がもう少し地域社会に深く関心を持ち、改革の思いを広げることができる市民活動家になることが必要と思います。
熊日のインタビューの蒲島氏の言葉は、次で締めくくられていました。
(本文より、転載)
「古賀氏の考えは、私の思いと同じだった。4月16日の知事就任まであまり時間がない中、党本部にあいさつできて良かった」と話した。(中略)
今回の熊本知事選挙の真相に迫る蒲島氏の謝辞、党本部訪問が、マニュフェストに掲げた思いをどう実現して行くか、川辺川ダム問題も含め、実行評価に県民が関心を持ちづくつけることが重要と思いました。
<公立高校定員割れ>県庁所在地の県立の進学校のクラスを減らす要求が出ないのが不思議でならない。
51年前、私も宇土高校の門をくぐり入学しました。(笑)変わらない母校の姿。
東日本大震災から14年、その被害のすごさを改めて確認します。
<豊かさの条件>いつの時代にも人間社会は共同体的な部分を残さなければ、社会基盤の安定を欠く。
久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。
高宗昭敏先生の活動を振り返る。熊本地球市民塾から「横井小楠と維新群像」建立まで
51年前、私も宇土高校の門をくぐり入学しました。(笑)変わらない母校の姿。
東日本大震災から14年、その被害のすごさを改めて確認します。
<豊かさの条件>いつの時代にも人間社会は共同体的な部分を残さなければ、社会基盤の安定を欠く。
久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。
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Posted by ノグチ(noguchi) at 08:44│Comments(0)
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