〈起業と実学〉起業スクールに行っても起業できない(落合信彦
2012年05月10日
〈起業と実学〉起業スクールに行っても起業できない(落合信彦)
おはようございます。昨夜から、少々寝不足の生活が始まりました。父が老人保健施設から退所して、半年ぶりに家での生活を始めました。施設の生活から、夜のトイレ起きが頻繁で、夜間の介護をどうするか、実際の状況観察が始まりました。
正に、実情から考えることが、介護の対応と思います。
体験から考えると言えば、私は細々と零細な建築の設計事務所を経営してきました。経営と言えるほどの規模はありませんが、どうにか22年目に突入しました。
20代、3人の建築家の下で学び、8年間で東京から沖縄まで、見たい建物を回る旅を続けました。
私の就職活動時は、第二次オイルショックの最低の時期で、仕事が無く、専門学校講師の事務所で、4ヶ月無給で仕事を学びました。その講師の友人の設計事務所に移り5年働き、世界の建築見学旅行をした建築家の下で3年設計業務に関わり、32歳で独立しました。
学んだ設計事務所は、所員が1~3名程度の零細の個人事務所ばかりです。
私は、22歳から建築の専門学校に入りました。きっかけは、先輩の助言でしたが、30歳での独立を目指し、学ぼうと思っていました。
学校卒業後、時代バブル経済になっていきます。建築の人手不足から、設計のアルバイト先は、事欠かないくらい、夜な夜な先輩たちの事務所で、図面制作のアルバイトをやりました。田舎の設計事務所の給与は、可哀想なくらい安いものです。技術が上がり、勤務給与よりもアルバイトで稼ぐ方が、多かった月も増えて行きました。
私は、勉強の方が芳しくなく、一級建築士の試験合格に3年かかり、目標より2年遅れの32歳で独立しました。
ところが、独立の翌年にバブル経済が終焉し、最初から厳しい経営環境でしたが、どうにか以来22年続いています。
昨日のブログで紹介した、ジャーナリストの落合信彦氏の著書『勇気の時代』 の一節にありました。
「起業するには起業スクールに行くより、独立できるスキルを数年で見につけられる会社で授業するが一番」
落合氏は、就職活動中の学生たちと 、「将来は起業して、自分の腕一本で食べて行けるような人間になりたい」と希望を述べる。
その学生たちが希望している就職先は、就職ランキング上位の所ばかりです。巨大企業では、一部の職種の歯車でしかなく、経営のコアの部分、取引先の細やかな対応等々には携われませんし、経営を勘違いすることも多々あります。
大企業の社員が、起業スクールに通っているようだが、現実は、十数人に一人いるかどうかが、現実と思います。また、独立しても何年維持するか、継続こそ事業の意味があります。
最後に落合氏から、若い人たちへのメッセージは、次の言葉でした。
(以下、転載)
これから就職を控えている学生や、将来の独立に備えて転職を考えているサラリーマン&OLの諸君は、もっともっと自分にプラスになるという面から就職先や転職先を選択すべきである。(略)
若い人たちには、自分の目指す目標を定め、着実に実力を積み上げて行く生き方をしてほしいですね。成功は、成功するまであきらめないこと、と先人が訓示しています。
「どうせ生きているからには、苦しいのは当たり前だと思え」(芥川龍之介)
本日も長文を最後までお読み頂き感謝致します。
おはようございます。昨夜から、少々寝不足の生活が始まりました。父が老人保健施設から退所して、半年ぶりに家での生活を始めました。施設の生活から、夜のトイレ起きが頻繁で、夜間の介護をどうするか、実際の状況観察が始まりました。
正に、実情から考えることが、介護の対応と思います。
体験から考えると言えば、私は細々と零細な建築の設計事務所を経営してきました。経営と言えるほどの規模はありませんが、どうにか22年目に突入しました。
20代、3人の建築家の下で学び、8年間で東京から沖縄まで、見たい建物を回る旅を続けました。
私の就職活動時は、第二次オイルショックの最低の時期で、仕事が無く、専門学校講師の事務所で、4ヶ月無給で仕事を学びました。その講師の友人の設計事務所に移り5年働き、世界の建築見学旅行をした建築家の下で3年設計業務に関わり、32歳で独立しました。
学んだ設計事務所は、所員が1~3名程度の零細の個人事務所ばかりです。
私は、22歳から建築の専門学校に入りました。きっかけは、先輩の助言でしたが、30歳での独立を目指し、学ぼうと思っていました。
学校卒業後、時代バブル経済になっていきます。建築の人手不足から、設計のアルバイト先は、事欠かないくらい、夜な夜な先輩たちの事務所で、図面制作のアルバイトをやりました。田舎の設計事務所の給与は、可哀想なくらい安いものです。技術が上がり、勤務給与よりもアルバイトで稼ぐ方が、多かった月も増えて行きました。
私は、勉強の方が芳しくなく、一級建築士の試験合格に3年かかり、目標より2年遅れの32歳で独立しました。
ところが、独立の翌年にバブル経済が終焉し、最初から厳しい経営環境でしたが、どうにか以来22年続いています。
昨日のブログで紹介した、ジャーナリストの落合信彦氏の著書『勇気の時代』 の一節にありました。
「起業するには起業スクールに行くより、独立できるスキルを数年で見につけられる会社で授業するが一番」
落合氏は、就職活動中の学生たちと 、「将来は起業して、自分の腕一本で食べて行けるような人間になりたい」と希望を述べる。
その学生たちが希望している就職先は、就職ランキング上位の所ばかりです。巨大企業では、一部の職種の歯車でしかなく、経営のコアの部分、取引先の細やかな対応等々には携われませんし、経営を勘違いすることも多々あります。
大企業の社員が、起業スクールに通っているようだが、現実は、十数人に一人いるかどうかが、現実と思います。また、独立しても何年維持するか、継続こそ事業の意味があります。
最後に落合氏から、若い人たちへのメッセージは、次の言葉でした。
(以下、転載)
これから就職を控えている学生や、将来の独立に備えて転職を考えているサラリーマン&OLの諸君は、もっともっと自分にプラスになるという面から就職先や転職先を選択すべきである。(略)
若い人たちには、自分の目指す目標を定め、着実に実力を積み上げて行く生き方をしてほしいですね。成功は、成功するまであきらめないこと、と先人が訓示しています。
「どうせ生きているからには、苦しいのは当たり前だと思え」(芥川龍之介)
本日も長文を最後までお読み頂き感謝致します。
5月6日は、宇土市のサッカーのスーパースター、鹿島アントラーズの植田直通選手の応援ツアーに参加します。
<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜
<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。
<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜
1月1日の記事
議長活動報告(11月前半)
<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜
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Posted by ノグチ(noguchi) at 07:11│Comments(0)
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