明治3年から続けられている、幕末の政治思想家の横井小楠の命日
2012年02月13日
明治3年から続けられている、幕末の政治思想家の横井小楠の命日
毎年、2月15日は、幕末の政治思想家の横井小楠の命日に開催される墓前祭に参列しています。
横井小楠は、旧暦の明治2年1月5日に、刺客に襲われ命を落としました。命日のお祭は、明治3年から、横井小楠の私塾「四時軒」があった地域の有志によって続けられています。
明治維新の大政奉還、海軍の増強、議会制度、等々、幕末の志士たちに多大な影響を与えたと言われています。
私は、熊本横井小楠塾の事務局長として、体調不良の高宗昭敏塾長の名代として参列いたします。横井小楠の政治思想が、平成になり、民主党の政権になり、少しづつ熊本の県民にも知られるようになりました。
小楠の「大義を四海(世界)に、布かんのみ」 の考え方を、広めて行きたいと思います。
毎年、2月15日は、幕末の政治思想家の横井小楠の命日に開催される墓前祭に参列しています。
横井小楠は、旧暦の明治2年1月5日に、刺客に襲われ命を落としました。命日のお祭は、明治3年から、横井小楠の私塾「四時軒」があった地域の有志によって続けられています。
明治維新の大政奉還、海軍の増強、議会制度、等々、幕末の志士たちに多大な影響を与えたと言われています。
私は、熊本横井小楠塾の事務局長として、体調不良の高宗昭敏塾長の名代として参列いたします。横井小楠の政治思想が、平成になり、民主党の政権になり、少しづつ熊本の県民にも知られるようになりました。
小楠の「大義を四海(世界)に、布かんのみ」 の考え方を、広めて行きたいと思います。
<公立高校定員割れ>県庁所在地の県立の進学校のクラスを減らす要求が出ないのが不思議でならない。
51年前、私も宇土高校の門をくぐり入学しました。(笑)変わらない母校の姿。
東日本大震災から14年、その被害のすごさを改めて確認します。
<豊かさの条件>いつの時代にも人間社会は共同体的な部分を残さなければ、社会基盤の安定を欠く。
久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。
高宗昭敏先生の活動を振り返る。熊本地球市民塾から「横井小楠と維新群像」建立まで
51年前、私も宇土高校の門をくぐり入学しました。(笑)変わらない母校の姿。
東日本大震災から14年、その被害のすごさを改めて確認します。
<豊かさの条件>いつの時代にも人間社会は共同体的な部分を残さなければ、社会基盤の安定を欠く。
久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。
高宗昭敏先生の活動を振り返る。熊本地球市民塾から「横井小楠と維新群像」建立まで
Posted by ノグチ(noguchi) at 21:08│Comments(0)
│熊本の出来事
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