新幹線開通後の熊本県央地域を考える学習会、九州の地政学。
2010年05月25日
新幹線開通後の熊本県央地域を考える学習会、九州の地政学。
・9月から九州新幹線の試験走行実験開始
昨日午前中、宇土市民会館の大会議室がブルーの作業服姿の人たちでいっぱいになった。集まったのは、JRの技術者たちで、もうじき始まる九州新幹線の試験走行の会議でした。たまたま、宇土市民会館に用があり寄ったとき、会議が終わり、会場から出て来ているときでした。たくさんの鉄道技術者が、宇土を中心に来ているのだなと思いました。
・有志11人が集まり、新幹線開通後の地域振興を議論
また昨夜、宇土市や宇城市の中堅(30代~50代)の有志11人が集まり、新幹線開通後の地域振興の事を議論する会がありました。職業は、バラバラですが、熊本県央地域の発展を願う気持ちの有る人ばかりで、約2時間、色々な意見を出し合い、どんどん話が広がりました。
・環境活動家が呼びかけ人
この会を呼びかけたのは、宇土市に住む環境活動家の上村剛さんと私、もう一人が耕作放棄地に植林をすすめているボランティの代表の3名で、知人友人をたよりに集まってもらいました。
まず新幹線のことに詳しい方から、新幹線が来て地域はどのように発展して行くかを紹介してもらいました。
議論の中で気づいたのは、宇城地域は、天草~延岡の九州を横断する横軸と、国道3号線が九州の縦断するように縦軸が重なる最も重要な位置に在ることです。
・県央地域の新駅の必要性は?
松橋ICから、九州各地がほぼ約2時間で行ける交通の要所であり、さまざまな物流のが交差する位置になることを改めて確認で来ました。もし、松橋IC近くに、新幹線駅が出来るのであれば、その利用価値はとても大きいと思います。JRの試算では、平均利用数は、八代駅より多く、県内では熊本市の次に多い利用者とありました。
・地政学の視点で、九州中央地域を検証
最近興味有る言葉に「地政学」があります。地域を政治的な視点で見る学問ですが、これに何故興味を持ったかといいますと、平成19・20年度に熊本県上益城郡山都町馬見原地区の商店街の景観整備事業に関わったことがきっかけでした。
この時、馬見原の郷土史家の方から、むろまち時代から現代までの馬見原の栄枯盛衰を聞かされました。馬見原地区は、阿蘇-馬見原-椎葉-人吉の縦軸、御船-矢部-馬見原-高千穂-延岡の横軸が交差する物流と人材交流の要所でした。大正初期には、150戸程度の商店街に、造り酒屋16軒、独自の銀行、独自の発電所まで持つとても反映した商店街でした。
これは、古来から大正以前までは、関西から瀬戸内の海路を通り、延岡から陸路になり、熊本へ人・モノが運ばれました。しかし、鉄道が開通し、国道3号線が全線開通、トラック輸送が中心なると、馬見原を通過する物流の流れはだんだん少なくなって行きました。これは、宮崎-熊本の物流のことです。
現代の九州の地政学を考えると、宇城地域を通過する人とモノの数は、日々増加しています。そこへ、縦軸に新しく新幹線が通り、交通体系が大きく変化します。
・鹿児島県阿久根駅前商店街の衰退
経済の振興に、交通は切り離せない要素と思います。仕組みが変われば、地域に大きな変化が起こります。
今、政治的混乱でニュース報道の多い「阿久根市」は、新幹線のルートからはずれました。新幹線開通後、2年も経たないうちに、駅前商店街がシャッター通り化がどんどん進んだそうです。人の流れが大きく変わり、過疎化が進んでいると言います。
・県境を越えた人材交流の必要性
自分の足下ばかりに目を向けるのでなく、熊本県、九州中央へ視点を拡げ、更に南九州の発展の展望を考えるには、地域を越えた人材の交流が今後必要と思います。昨日は、宇城地域の人たちでしたが、今後は、天草-宇城-上益城-延岡の横軸の地域おこし団体との交流を進める必要があると思います。
初めて開催された新幹線開通後の熊本県央地区の地域振興の学習会は、示唆に富み、有意義な集まりになりました。会議に集まった人たちからは、「郷土が大好き、熊本・九州に思いを持つ方に集まってもらいたいですね」と意見が出ていました。
<ミクシィ・コミュ>
・地域政策会議「うき」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4976600
熊本県央地域の「宇土市・宇城市・下益城・上益城」地域を拠点にする「熊本を元気にしたい」地域リーダーの有志たちが集い、議論し、連携して、政策(まちづくり)の議論するネット上の会議です。
・9月から九州新幹線の試験走行実験開始
昨日午前中、宇土市民会館の大会議室がブルーの作業服姿の人たちでいっぱいになった。集まったのは、JRの技術者たちで、もうじき始まる九州新幹線の試験走行の会議でした。たまたま、宇土市民会館に用があり寄ったとき、会議が終わり、会場から出て来ているときでした。たくさんの鉄道技術者が、宇土を中心に来ているのだなと思いました。
・有志11人が集まり、新幹線開通後の地域振興を議論
また昨夜、宇土市や宇城市の中堅(30代~50代)の有志11人が集まり、新幹線開通後の地域振興の事を議論する会がありました。職業は、バラバラですが、熊本県央地域の発展を願う気持ちの有る人ばかりで、約2時間、色々な意見を出し合い、どんどん話が広がりました。
・環境活動家が呼びかけ人
この会を呼びかけたのは、宇土市に住む環境活動家の上村剛さんと私、もう一人が耕作放棄地に植林をすすめているボランティの代表の3名で、知人友人をたよりに集まってもらいました。
まず新幹線のことに詳しい方から、新幹線が来て地域はどのように発展して行くかを紹介してもらいました。
議論の中で気づいたのは、宇城地域は、天草~延岡の九州を横断する横軸と、国道3号線が九州の縦断するように縦軸が重なる最も重要な位置に在ることです。
・県央地域の新駅の必要性は?
松橋ICから、九州各地がほぼ約2時間で行ける交通の要所であり、さまざまな物流のが交差する位置になることを改めて確認で来ました。もし、松橋IC近くに、新幹線駅が出来るのであれば、その利用価値はとても大きいと思います。JRの試算では、平均利用数は、八代駅より多く、県内では熊本市の次に多い利用者とありました。
・地政学の視点で、九州中央地域を検証
最近興味有る言葉に「地政学」があります。地域を政治的な視点で見る学問ですが、これに何故興味を持ったかといいますと、平成19・20年度に熊本県上益城郡山都町馬見原地区の商店街の景観整備事業に関わったことがきっかけでした。
この時、馬見原の郷土史家の方から、むろまち時代から現代までの馬見原の栄枯盛衰を聞かされました。馬見原地区は、阿蘇-馬見原-椎葉-人吉の縦軸、御船-矢部-馬見原-高千穂-延岡の横軸が交差する物流と人材交流の要所でした。大正初期には、150戸程度の商店街に、造り酒屋16軒、独自の銀行、独自の発電所まで持つとても反映した商店街でした。
これは、古来から大正以前までは、関西から瀬戸内の海路を通り、延岡から陸路になり、熊本へ人・モノが運ばれました。しかし、鉄道が開通し、国道3号線が全線開通、トラック輸送が中心なると、馬見原を通過する物流の流れはだんだん少なくなって行きました。これは、宮崎-熊本の物流のことです。
現代の九州の地政学を考えると、宇城地域を通過する人とモノの数は、日々増加しています。そこへ、縦軸に新しく新幹線が通り、交通体系が大きく変化します。
・鹿児島県阿久根駅前商店街の衰退
経済の振興に、交通は切り離せない要素と思います。仕組みが変われば、地域に大きな変化が起こります。
今、政治的混乱でニュース報道の多い「阿久根市」は、新幹線のルートからはずれました。新幹線開通後、2年も経たないうちに、駅前商店街がシャッター通り化がどんどん進んだそうです。人の流れが大きく変わり、過疎化が進んでいると言います。
・県境を越えた人材交流の必要性
自分の足下ばかりに目を向けるのでなく、熊本県、九州中央へ視点を拡げ、更に南九州の発展の展望を考えるには、地域を越えた人材の交流が今後必要と思います。昨日は、宇城地域の人たちでしたが、今後は、天草-宇城-上益城-延岡の横軸の地域おこし団体との交流を進める必要があると思います。
初めて開催された新幹線開通後の熊本県央地区の地域振興の学習会は、示唆に富み、有意義な集まりになりました。会議に集まった人たちからは、「郷土が大好き、熊本・九州に思いを持つ方に集まってもらいたいですね」と意見が出ていました。
<ミクシィ・コミュ>
・地域政策会議「うき」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4976600
熊本県央地域の「宇土市・宇城市・下益城・上益城」地域を拠点にする「熊本を元気にしたい」地域リーダーの有志たちが集い、議論し、連携して、政策(まちづくり)の議論するネット上の会議です。
<公立高校定員割れ>県庁所在地の県立の進学校のクラスを減らす要求が出ないのが不思議でならない。
51年前、私も宇土高校の門をくぐり入学しました。(笑)変わらない母校の姿。
東日本大震災から14年、その被害のすごさを改めて確認します。
<豊かさの条件>いつの時代にも人間社会は共同体的な部分を残さなければ、社会基盤の安定を欠く。
久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。
高宗昭敏先生の活動を振り返る。熊本地球市民塾から「横井小楠と維新群像」建立まで
51年前、私も宇土高校の門をくぐり入学しました。(笑)変わらない母校の姿。
東日本大震災から14年、その被害のすごさを改めて確認します。
<豊かさの条件>いつの時代にも人間社会は共同体的な部分を残さなければ、社会基盤の安定を欠く。
久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。
高宗昭敏先生の活動を振り返る。熊本地球市民塾から「横井小楠と維新群像」建立まで
Posted by ノグチ(noguchi) at 15:54│Comments(0)
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