持続可能な社会(環境)実現に、人々の「世界観」の変革必要
2009年04月15日
持続可能な社会(環境)実現に、人々の「世界観」の変革必要
衝撃の書「成長の限界」から30年、同じ著者たちが、現在の地球環境のデーターを基に、「この30年間、人間と地球との関係はどうなってきたのか」、「今の地球はどういう状態か」を分析し、「どうすれば崩壊せずに、持続可能な社会に移行できるか」を、静かに熱く訴える本を書きました。
2002年に出版された「成長の限界人類の選択」は、世界に大きな波紋をもたらしました。このままの経済、成長を続ければ、人類存亡の期限が刻々と近づいていることを知らせています。
この世界の識者の流れの方向に、オバマ政権も方向転換し、環境共生型社会への新潮流が始まっています。
本は、400ページに及ぶ分厚い本です。本を読み一番感じるのは、行き過ぎを「気づかない、気づこうとしない」、また事実を「知らない、知ろうとしない」のが現代人と思います。
本の第1章は、「地球を破滅に導く、人類の行き過ぎ 」がおこるか3つの要因が書かれていました。
(本文より)
・「行き過ぎ」を招く三つの要因
「行き過ぎ」は、個人的にも地球規模的でも起こるが、その根底には三つの要因がある。 第一に、成長し、加速し、その結果急激な「変化」が起こること。
第二に、それを超えると、動いているシステムが安全に進めなくなる恐れのある何らかの「限界」や壁があること。
第三に、そのシステムが限界を越えないようにするために作用する認識や反応に「遅れ」や過ちがあること。(中略)
もっとも多くの場合、行き過ぎても実害はほとんどない。限界を超えたからといって、深刻な被害を及ぼすことはそれほどない。実際には、行き過ぎをよく経験しているので、危ないと思ったら、避けたり被害を最小限に抑えようとすることが多い。(中略)
しかし、時折、行き過ぎて破局がやってくることがある。地球の人口や物質経済の成長が、この可能性を人類に突きつけているのだ。これこそが本書の焦点である。(中略)
・・、人間は1980年代後半から、毎年、その年に地球が再生できる以上の資源を使うようになった。つまり、世界のエコロジカル・フットプリント(汚染物質を吸収する能力)は、地球が提供できる能力を超えてしまった。(中略)
(以上、「成長の限界 人類の選択」)
上記の情報は、ニュースや報道で、多くの人たちが聞いている、見ていると思うのに、自分たちの生活スタイルを変えようとしない。まだ自分に迫った限界が感じられないからだろうと推測します。
しかし、現実は、地球環境の再生能力を着実に削ぎ続けています。限界を超えてまで成長する経済(人類社会)が、なぜ止まらないか。本に、次のことが書かれていた。
一人ひとりが持つ「世界観」に要因があると教示しています。
(本文より)
・・誰もが「世界観」を持っていおり、その世界観によって、どこに何を見るかが違ってくる。言ってみれば、フィルターのようなものだ。「世界はこういうものだ」という自分の期待(潜在意識レベルであることが多い)と一致する情報は取り入れるし、一方で、その期待を否定したり疑義を唱えるような情報は無視される。(中略)
(以上、「成長の限界 人類の選択」)
この世界観は、一人ひとり育った環境(家庭・地域・教育)に、大きく左右されると思います。日本には、「井の中の蛙」という言葉がありますが、刷り込まれた既成概念が「世界観」に影響を及ぼすと考えます。
ただふとした、きっかけや事件から、大きく視野を広げることがあると思います。幕末・維新で通訳として活躍した「ジョン万次郎」は、その一人と思います。大きな出来事のない一般人は、流されて来るニュースを鵜呑みするのでなく、色々な人と語り、気づいたことを調べ、更に視野を広げる努力が必要と思います。
その人物が一生で得た「世界観」は、家族や友人の中で、確実に次世代へつながれると思います。一人一人の言動の積み重ねからしか、「常識」と言われる人類平均の世界観が、変らないように思います。
地球の人類の多くが「成長の限界 人類の選択」を周知し、人類が受け入れる(世界観が変る)のか、本の提言から何年くらいの「遅れ」で、対策(政策)を実行されるか、現代の生きる我々の一人ひとりの行動に委ねられていると思います。
*参考資料:「成長の限界 人類の選択」ドラネ・H・メドウズ、デニス・L・メドウズ、ヨルゲン・ランダース共著(枝廣淳子訳)
<関連コミュ>
・公正で持続可能な社会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1236249
・レイチェル・カーソン
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3198884
1962年に発表した『沈黙の春』は、農薬類の問題を告発した書として米国政府にまでその衝撃が伝わった。
<以前の日記>
・ノーブレス・オブリージ(富裕者の負う責務)という社会通念
http://noguchi.otemo-yan.net/e181342.html
<環境建築塾のご案内>
環境建築塾第9回
(省エネ)新発想の冷暖房「ecowin」の見学・研修会
http://noguchi.otemo-yan.net/e180872.html
衝撃の書「成長の限界」から30年、同じ著者たちが、現在の地球環境のデーターを基に、「この30年間、人間と地球との関係はどうなってきたのか」、「今の地球はどういう状態か」を分析し、「どうすれば崩壊せずに、持続可能な社会に移行できるか」を、静かに熱く訴える本を書きました。
2002年に出版された「成長の限界人類の選択」は、世界に大きな波紋をもたらしました。このままの経済、成長を続ければ、人類存亡の期限が刻々と近づいていることを知らせています。
この世界の識者の流れの方向に、オバマ政権も方向転換し、環境共生型社会への新潮流が始まっています。
本は、400ページに及ぶ分厚い本です。本を読み一番感じるのは、行き過ぎを「気づかない、気づこうとしない」、また事実を「知らない、知ろうとしない」のが現代人と思います。
本の第1章は、「地球を破滅に導く、人類の行き過ぎ 」がおこるか3つの要因が書かれていました。
(本文より)
・「行き過ぎ」を招く三つの要因
「行き過ぎ」は、個人的にも地球規模的でも起こるが、その根底には三つの要因がある。 第一に、成長し、加速し、その結果急激な「変化」が起こること。
第二に、それを超えると、動いているシステムが安全に進めなくなる恐れのある何らかの「限界」や壁があること。
第三に、そのシステムが限界を越えないようにするために作用する認識や反応に「遅れ」や過ちがあること。(中略)
もっとも多くの場合、行き過ぎても実害はほとんどない。限界を超えたからといって、深刻な被害を及ぼすことはそれほどない。実際には、行き過ぎをよく経験しているので、危ないと思ったら、避けたり被害を最小限に抑えようとすることが多い。(中略)
しかし、時折、行き過ぎて破局がやってくることがある。地球の人口や物質経済の成長が、この可能性を人類に突きつけているのだ。これこそが本書の焦点である。(中略)
・・、人間は1980年代後半から、毎年、その年に地球が再生できる以上の資源を使うようになった。つまり、世界のエコロジカル・フットプリント(汚染物質を吸収する能力)は、地球が提供できる能力を超えてしまった。(中略)
(以上、「成長の限界 人類の選択」)
上記の情報は、ニュースや報道で、多くの人たちが聞いている、見ていると思うのに、自分たちの生活スタイルを変えようとしない。まだ自分に迫った限界が感じられないからだろうと推測します。
しかし、現実は、地球環境の再生能力を着実に削ぎ続けています。限界を超えてまで成長する経済(人類社会)が、なぜ止まらないか。本に、次のことが書かれていた。
一人ひとりが持つ「世界観」に要因があると教示しています。
(本文より)
・・誰もが「世界観」を持っていおり、その世界観によって、どこに何を見るかが違ってくる。言ってみれば、フィルターのようなものだ。「世界はこういうものだ」という自分の期待(潜在意識レベルであることが多い)と一致する情報は取り入れるし、一方で、その期待を否定したり疑義を唱えるような情報は無視される。(中略)
(以上、「成長の限界 人類の選択」)
この世界観は、一人ひとり育った環境(家庭・地域・教育)に、大きく左右されると思います。日本には、「井の中の蛙」という言葉がありますが、刷り込まれた既成概念が「世界観」に影響を及ぼすと考えます。
ただふとした、きっかけや事件から、大きく視野を広げることがあると思います。幕末・維新で通訳として活躍した「ジョン万次郎」は、その一人と思います。大きな出来事のない一般人は、流されて来るニュースを鵜呑みするのでなく、色々な人と語り、気づいたことを調べ、更に視野を広げる努力が必要と思います。
その人物が一生で得た「世界観」は、家族や友人の中で、確実に次世代へつながれると思います。一人一人の言動の積み重ねからしか、「常識」と言われる人類平均の世界観が、変らないように思います。
地球の人類の多くが「成長の限界 人類の選択」を周知し、人類が受け入れる(世界観が変る)のか、本の提言から何年くらいの「遅れ」で、対策(政策)を実行されるか、現代の生きる我々の一人ひとりの行動に委ねられていると思います。
*参考資料:「成長の限界 人類の選択」ドラネ・H・メドウズ、デニス・L・メドウズ、ヨルゲン・ランダース共著(枝廣淳子訳)
<関連コミュ>
・公正で持続可能な社会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1236249
・レイチェル・カーソン
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3198884
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<地球温暖化は進む>一瞬にして結果を知る。これは常人にはできない直感力である。〜幾を知るはそれ神か(易経)〜
<VWとBMWのカルテルに制裁金>ドイツのメーカーもこんな悪どいことをしていたとは?〜EU委員会〜
「天高く さえずり飛ぶ 雲雀かな」春の朝ウォーキングは、自然と共に人が生きていることを知らされます。
<認定は県か国か>水俣病を思い詠まれた天皇皇后両陛下の歌3首に感銘。
大都会の大気汚染の防止対策、パリもナンバーの奇数・偶数で日分け通行に?
アメリカ自然保護の父、ジョン・ミューア・トレイル、ヨセミテ国立公園
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Posted by ノグチ(noguchi) at 09:26│Comments(1)
│環境
この記事へのコメント
Posted by Ichiro at 2009年04月15日 11:52
地球の経済の右上がりには限界がある(石油と置き換えてもいい)
第1次オイルショックの時には、そういわれていた。
ところがこすからい数学者がいて、石油が高くなるから使わなくなると
ほんとかね。
Ichiro