<第13回住吉地域学教室>足下の歴史こそ、郷土愛を生み出す

2008年11月05日

<第13回住吉地域学教室>足下の歴史こそ、郷土愛を生み出す
 ~昭和5年に建立した忠魂碑を捜そう!~

・歴史の現場ウォッチング
 日曜日(11月2日)、第13回住吉地域学教室で、「歴史の現場ウォッチング」で、昭和5年の地域有志の協力で建立された、日清戦争、日露戦争の戦没者を顕彰する慰霊塔が、私の住む小学校区内にあることを、今年の春に聞き、6月に現場の見学会を計画したのですが、梅雨時期で延期し、今回やっと実現しました。

・50才に成るまで知らなかった昭和5年の住民活動
 写真で見るように、とても大きな建造物で、高さは5メール近いコンクリート製で、当時のようすを知る長老は、当時を思い出し、とても盛大に建立記念式典があったと語っていたと、地域学教室の先輩が話されていました。

・草、雑木ぼうぼうの忠魂碑の現場
 当時は、草木も無く、有明海を全望できる小高い丘にあり、江戸時代は細川藩の別荘もあった景勝地にありました。今は、人でな入らず雑木と生い茂った草に囲まれていましたが、10名で雑草、取り巻く蔓や木々を、1時間かけて取り除きました。1枚目の写真。
<第13回住吉地域学教室>足下の歴史こそ、郷土愛を生み出す

 11月というのに蒸し暑く、蚊の襲来をうける状況で、汗だくになりながら続け、忠魂碑の前庭の除草をおえて、地域学教室の代表世話人が寺に住職なので、法要をしてもらい、記念写真を撮ったのが2枚目の写真です。
<第13回住吉地域学教室>足下の歴史こそ、郷土愛を生み出す


・叔父の命日に、清掃作業と供養
 実は、11月2日は、私に父の兄(叔父)が、太平洋戦争で戦士した命日です。今回の地域学教室の行事があったので、前日の11月1日に父を一緒に、兄の命日の参拝をして来ました。私は、天皇制をどうとか、右翼、左翼の理念はありません。
 ただ、父の兄(長男)である叔父の命日に、20才から18年間は祖母に付いて、その後は父と12年間熊本の護国神社へ命日参拝をしてきました。

・叔父が、ソロモン海戦で戦死
 長男であった叔父が、ソロモン海戦で戦死し、父の少年兵で戦争に行くのですが、無事に帰還し、300年続く農家の引き継ぐのですが、その縁で私もその実家に居ることなります。以来、車の運転が出来るようなってかた、祖母、父をはじめ、叔父、伯母、母、妻、子どもたちも参拝を時々、同伴させて来ました。

・太平洋戦争の勉強を続けること
 太平洋戦争は、色々な面でアジアを苦しめましたが、政争の中で、死んで行った多くの方々がいることを忘れてはならないし、決して二度と戦争を起こしてはならないと思います。親族に戦死者を持つ家族として、戦死した叔父の母であり父は、祖母であり、祖父ですが、子どもころ日々、仏壇に拝む時に叔父の名を呼び、頭を下げてきた風景を思い出します。

・祖父母の日々仏壇で語る言葉
 平和への思いは、祖父母の日々仏壇で語る言葉に、影響されているのかもしれません。平和だったら、戦士もなければ、空襲も無い、経済制裁もない、太平洋戦争は社会情勢の中で、外へ打って出たといわれています。経済優先の社会でなく、古来日本に根付いた「足るを知る」文化が今、求めれているように思います。

・地域活動の歴史を見直す
 先週の地域学で、知った事は、昭和5年に地域を上げて建立され忠魂碑が、戦後の混乱、行け行けドンドンの経済優先社会の中で、地域のことを学ぶことが忘れ去れていることを感じます。4年かけて、江戸期の干拓を中心にして地域の歴史を学んで来たのですが、明治から始まる、富国強兵の日本の奇跡と、戦火で命を落として来た先輩方のことを知ること、後世へ語り継ぐ事を忘れてはならないと思いました。

・足下の歴史こそ、郷土愛を生み出す
 たった78年前に地域活動の証拠である「忠魂碑」の周りを掃除し、その現状を地域の色々な場面で語ることで、地域に住む人びとが、自分たちの住む現況に関心を持ってもらえたら、今回の第13回住吉地域学教室「忠魂碑を捜そう」が、意味あるものになるかもしれません。
 みなさんの地域にも、「地域の宝:まちづくりの気付き」が沢山あるように思います。地域の宝探しを、気付いた人が、友人知人を誘って初めて頂けると良いなと願います。ぜひ、みなさんの地域でも「○○地域学教室」の広がることを願っています。


<以前の日記>
・<小室の極貧>驕れるもは、久しからず「人ニ千日ノ好ナク」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=984354724&owner_id=2182841

・ダライ・ラマの祈り~「慈悲と苦悩を問う」講演会
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=983821107&owner_id=2182841


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Posted by ノグチ(noguchi) at 23:33│Comments(0)熊本の出来事
 
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