(昨日)高校同窓会の慰霊祭、元気にするボランティア活動
2008年09月24日
(昨日)高校同窓会の慰霊祭、元気にするボランティア活動
昨日は、午前中、高校同窓会の慰霊祭があり、同窓会事務局長がいつも一人で準備されているので、手伝いに行きました。
創立は大正10年、これまで第2次世界大戦で戦没した人を含め、4千名以上の先輩方の慰霊が祭られています。なんかここまで書くと、神道の信奉者みたいですが、そのような気持ちはなく、ただ同窓会の先輩方が、賢明に教育の精神を後世へつなげようとされている姿勢にうたれ、手伝っています。
慰霊祭に参加して思うのが、同窓会役員はだいたい60歳を越えた方が多いのですが、現役時代は地域の牽引役として、頑張って来た方ばかりで、地域のリーダー(エリート)だった方と思います。
・新たなるエリートの養成と組織化
現代社会は、民衆の社会と識者がよく語りすが、独立心を持つ市民までは至ったいないと批評する人も居ます。安岡正篤先生の著書「孟子」に、次の言葉が連ねられていました。
(本文)
結局、それは現代は大衆社会である。その大衆社会というものは、いったいどういうもにおであるか。大衆というものであり、大衆社会、従ってマスコミュニケーションというものはどういうものであり、人間にとってそれはどういうことになるのか。これをこのままにしておくと、歴史哲学から言っても社会学、社会心理学、民衆心理学、精神分析方面から言って、結局は人間生活、世界人類の破滅に結びつく。そこで世の中が大衆化すればするほど、社会がマスソサエィーとなればなるほど、マスコミュニケーションが幅をきかせればきかせるほど危ない。これを防衛するためには新たなるエリートを必要とする。そしてそれはいったいどうして作り出し、組織化することができるか。今後の運命はエリートをいかに養い、いかに組織化するしかない、それが今言ったいろんな学問の結論でありましょう。(中略)
安岡正篤先生の唱える「学問」とは、ただ知識を詰め込むことではなく、経験や苦難を乗り越えた知恵を養う事が大事と、著書の中で何度もかかれています。有名大学の卒業証書を勲章に、一生を生きようとするのでなく、社会に出て、様々な物事に挑戦し、色々な経験を積み重ね続けながらも、社会の出来事や事件にも関心を持ち、地域コミュニュティーにも参加し、テレビ、新聞などのマスメディアの情報に踊らされることなく、自分をしっかり持って生きる(活きる)人間になるための学問が必要と説かれています。
そのようなエリートたちが先頭に立ち、地域を越えてネットワークする必要があると言う教示と思います。
先週は、幼い命が無残に奪われる事件が続きました。大人たちの身勝手な振る舞いと思いますが、追いつめられた心境を解く「知恵」を持っていないように思います。事件に至らないような地域の相談役や支援者こそ、今後必要なリーダー(エリート)のような気がします。
・「ワイズメンズクラブ」に誘われて
夕方から、建築の専門学校の先輩や、仕事で関わった友人から、何度もラブコールがかかり、YMCAの活動を支援する社会人の集まり「ワイズメンズクラブ」に誘われ、バーベキューの夕食会に参加して来ました。
熊本は、明治初期、近代キリスト教の活動は起った拠点の一つで、現代も活発に事業が展開され、最近は幼児教育から始まり、専門学校、予備校、生涯学習等々、大きな企業とも思える活動を展開しています。
私もその一つ事業の建築専門学校を卒業したのですが、その熊本YMCAの活動を支援する「ワイズメンズクラブ」は30年前に始まり、現在5クラブになり、6つ目の設立に向け交流会が、会を重ねられています。
その3回目の集まりに参加したのですが、とても気分良い会で、以前からの知人も居たりで、同じ意識を持つ人たちの集まりだなと、感じながら談話が続きました。
同窓会の役員会や安岡先生のリーダー論からすると、「ワイズメンズクラブ」は交流と楽しさに重点を置いた地域密着のボランティア組織ですが、良識ある人びとの集まりと思います。
大衆社会と言われる現代だからこそ、社会を元気にするボランチィア活動が必要な気がしまし、その人たちが行動することで、周りを明るくして行くような気がしています。
*参考資料:安岡正篤著「『孟子』~不安と混迷の時代だからこそ~」
昨日は、午前中、高校同窓会の慰霊祭があり、同窓会事務局長がいつも一人で準備されているので、手伝いに行きました。
創立は大正10年、これまで第2次世界大戦で戦没した人を含め、4千名以上の先輩方の慰霊が祭られています。なんかここまで書くと、神道の信奉者みたいですが、そのような気持ちはなく、ただ同窓会の先輩方が、賢明に教育の精神を後世へつなげようとされている姿勢にうたれ、手伝っています。
慰霊祭に参加して思うのが、同窓会役員はだいたい60歳を越えた方が多いのですが、現役時代は地域の牽引役として、頑張って来た方ばかりで、地域のリーダー(エリート)だった方と思います。
・新たなるエリートの養成と組織化
現代社会は、民衆の社会と識者がよく語りすが、独立心を持つ市民までは至ったいないと批評する人も居ます。安岡正篤先生の著書「孟子」に、次の言葉が連ねられていました。
(本文)
結局、それは現代は大衆社会である。その大衆社会というものは、いったいどういうもにおであるか。大衆というものであり、大衆社会、従ってマスコミュニケーションというものはどういうものであり、人間にとってそれはどういうことになるのか。これをこのままにしておくと、歴史哲学から言っても社会学、社会心理学、民衆心理学、精神分析方面から言って、結局は人間生活、世界人類の破滅に結びつく。そこで世の中が大衆化すればするほど、社会がマスソサエィーとなればなるほど、マスコミュニケーションが幅をきかせればきかせるほど危ない。これを防衛するためには新たなるエリートを必要とする。そしてそれはいったいどうして作り出し、組織化することができるか。今後の運命はエリートをいかに養い、いかに組織化するしかない、それが今言ったいろんな学問の結論でありましょう。(中略)
安岡正篤先生の唱える「学問」とは、ただ知識を詰め込むことではなく、経験や苦難を乗り越えた知恵を養う事が大事と、著書の中で何度もかかれています。有名大学の卒業証書を勲章に、一生を生きようとするのでなく、社会に出て、様々な物事に挑戦し、色々な経験を積み重ね続けながらも、社会の出来事や事件にも関心を持ち、地域コミュニュティーにも参加し、テレビ、新聞などのマスメディアの情報に踊らされることなく、自分をしっかり持って生きる(活きる)人間になるための学問が必要と説かれています。
そのようなエリートたちが先頭に立ち、地域を越えてネットワークする必要があると言う教示と思います。
先週は、幼い命が無残に奪われる事件が続きました。大人たちの身勝手な振る舞いと思いますが、追いつめられた心境を解く「知恵」を持っていないように思います。事件に至らないような地域の相談役や支援者こそ、今後必要なリーダー(エリート)のような気がします。
・「ワイズメンズクラブ」に誘われて
夕方から、建築の専門学校の先輩や、仕事で関わった友人から、何度もラブコールがかかり、YMCAの活動を支援する社会人の集まり「ワイズメンズクラブ」に誘われ、バーベキューの夕食会に参加して来ました。
熊本は、明治初期、近代キリスト教の活動は起った拠点の一つで、現代も活発に事業が展開され、最近は幼児教育から始まり、専門学校、予備校、生涯学習等々、大きな企業とも思える活動を展開しています。
私もその一つ事業の建築専門学校を卒業したのですが、その熊本YMCAの活動を支援する「ワイズメンズクラブ」は30年前に始まり、現在5クラブになり、6つ目の設立に向け交流会が、会を重ねられています。
その3回目の集まりに参加したのですが、とても気分良い会で、以前からの知人も居たりで、同じ意識を持つ人たちの集まりだなと、感じながら談話が続きました。
同窓会の役員会や安岡先生のリーダー論からすると、「ワイズメンズクラブ」は交流と楽しさに重点を置いた地域密着のボランティア組織ですが、良識ある人びとの集まりと思います。
大衆社会と言われる現代だからこそ、社会を元気にするボランチィア活動が必要な気がしまし、その人たちが行動することで、周りを明るくして行くような気がしています。
*参考資料:安岡正篤著「『孟子』~不安と混迷の時代だからこそ~」
5月6日は、宇土市のサッカーのスーパースター、鹿島アントラーズの植田直通選手の応援ツアーに参加します。
<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜
<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。
<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜
1月1日の記事
議長活動報告(11月前半)
<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜
<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。
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議長活動報告(11月前半)
Posted by ノグチ(noguchi) at 07:02│Comments(0)
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