<歩禅と健康>遠くからは幻のように見えたけれども、近づいたら現実になった。

2020年05月09日

<歩禅と健康>遠くからは幻のように見えたけれども、近づいたら現実になった。

2度100キロウォークにチャレンジして、身体はガタガタになりましたが、完歩しました。

私が1kmを歩く歩数の平均は1355歩、100kmだと135500歩になります。行橋-別府も飯塚-武雄も、実長は104kmなので、140920歩です。さらに当日、駅からスタート会場まで、ゴール会場から昼食や宿まで歩くので。2日間で15万歩を超えることになります。

1km歩くのも、100km歩くのも、最初は1歩から始まります。

行橋から別府は見えません。
飯塚から武雄は見えません。

コツコツと、1歩、1歩、歩くしか到着しません。

行橋別府のパンフレットに「歩禅」という文字がありました。歩く禅の修行か?、熊野古道は、もともと修験者が、歩くために作られたと聞きました。

自らの精神鍛えるために歩く。

100キロウォークに参加する人は、はじめは数名参加のグループは、語りながらですが、だんだん言葉が減り、それぞれのペースて歩くようになり、黙々と歩き続けます。完歩率は、7割強ほど、3割弱の方は25時間(通過点の制限時間も)以内に完歩できません。催しなので、制限時間があります。

見えないところまで歩く、誰が考えたのか?

昔、船や鉄道・車のない時は、みんな歩いて目的地に行っていました。はるか遠い地域や国までも歩いていました。

私の100キロウォークに参加するきっかけとなった坂本龍馬が歩いた鹿児島-下関「薩長同盟ウォーク500キロ」(17日間)の熊本ステージの4日間92kmに参加して、そのグループは30人だったのでですが、その半分の方が「行橋別府100キロウォーク」に参加されていました。

100キロウォークの話は以前に聞いて、開催されていることは知っていましたが、100キロ歩ける人は"特別な人たち"と思っていたのですが、70歳を超えた女性の方もおられ、これなら私も参加できるのでは、思ったことを思い出します。

今日は、空海の言葉ですが、以下の訓示があります。
「遠くからは現実のように見えたけれど、近づいたら幻だった」
【原文】
遠うしては有(う)に似たれども、近うしては物(もつ)無し。

100キロウォークは、この訓示の逆で、歩く練習も含め、遠くにある幻のような場所まで歩き通すと、目的に着く(現実となる)。

歩き始めて8年目、早朝ウォーキングの目的は、はじめは健康目的でしたが、やはり何か目的がないと、健康維持だけでは、私の性格だと続かないと思い、チャレンジした100キロウォークでしたが、完歩した後の温泉宿も含め、老後の楽しみになりつつあります。

今年は、もし日程調整できれば、10月の行橋別府100キロウォーク、11月の飯塚武雄100キロウォークの両方を歩いてみようかと目論んでいます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:19Comments(0)マイライフ