<仲間づくりと自分>人間は若いころからあまり変わらない考え方、生き方をしている。
2023年08月22日
<仲間づくりと自分>人間は若いころからあまり変わらない考え方、生き方をしている。
(長文です。お時間ある時にお読みください。)
今朝は、朝ウォーキングのお休み(週休3日)ですが、やはり目覚めは同じ時間になります。歳でしょうか。
50代後半ころから、私の両親も含め、指導を受けた先輩方が、この世からあの世へ旅立たれる人がおられるようなった。寂しいことですが、これは世の常の流れでもあります。
その先輩方を見る中で、中年ころからしか分かりませんが、生き方の方向が定まっているなぁ、と振り返ります。
はたして私は、どうだろうか?
今朝の読書は、批評家の小林秀雄氏と哲学者の岡潔氏の対談録『人間の建設』から長い引用ですが、
(以下、『人間の建設』より)
小林)ドストエフスキーは自分で「白痴」が一番好きなんです。私も好きです。ドストエフスキーをよく見ますと、初めに方向が決まって、死ぬまでほかのことはしていません。おもしろいことですね。いろいろ作家を見ていますと、大体二十代で方向が決まって、それからあとはほかのことを考えていませんね。考えられないに違いない。そういう人は正直だから自分の身丈(みのたけ)にあったことしか考えようとしないのですな。精神を集中しているとか何とかいうことではなく、ほかのことを考える暇がない。その赴くままに歩いているんですね。ぼくはそう思うのです。岡さんも二十代にそういうことをおやりになって、方向は変わっていないでしょう。
岡)変えられませんよ。
小林)ぼくらも不思議なことだが、振りかえってみますと、二十代でこれはと思ったことは変えていませんね。それを一歩も出ていないのです。ただそれを少し詳しくしているだけですね。(中略)
(以上、『人間の建設』より転載)
私の変わった経験としたら、高校3年のクラス会の幹事を20代でやっていました。それも10年近くやりましたか?、幹事を別の人に変わったら、いつの間にか開催されなくなりました。
私の30代は、建築士事務所の独立、子育てと、あっという間に終わっていました。しかしそんな中でも、市民活動には参加して、人の縁を広げていた時代でもありました。
40歳を境に始めたのが、同業種交流から始まった異業種交流会の主催でした。3年の準備期間を経て本格的に動き出したのは42歳の時でした。
今振り返るに、私は、いつも仲間づくりをやっていたような気がしています。
異業種交流会「四季の会」をやっていたころ、40歳を前にした男女がよく私に「野口さんは、何をしたい、何になりたいのですか?」と聞いていました。私は、「「熊本の野口です」と言えるように、県内だけでなく、県外にもたくさんの知人友人がいるようになりたいですね」というようなことを語っていました。40代半ばには、年間100人以上、冗談ですが「7年間で1千人くらい会いたいですね」と言えるほど動いてました。
その動きをまとめたのが40代の活動記録の本『仲間づくり まちづくり』です。50歳の時に自費出版しました。
ネット活動は、メールマガジン、ブログ、mixi、Twitter、Facebook、LINE、Instagram、等々もやってきました。
流石に60代なってからは、動きがノロマになっていますが、人に会うという志向は今でも変わっていないし、仲間づくりは楽しい時間を与えてくれています。
振り返るに、私の活動の基本は、高校3年のクラス会の幹事が、私の方向を決めているのかもしれないなぁ、と思います。
今年の夏も終わりそうなので、そろそろ建築士仲間との飲み会、坂本龍馬を好きな人たちとの飲み会、やる時期に来ているなぁ、とワクワクします。
朝から、長くなりました。最後まで、駄文をお読みいただきありがとうございます。
(長文です。お時間ある時にお読みください。)
今朝は、朝ウォーキングのお休み(週休3日)ですが、やはり目覚めは同じ時間になります。歳でしょうか。
50代後半ころから、私の両親も含め、指導を受けた先輩方が、この世からあの世へ旅立たれる人がおられるようなった。寂しいことですが、これは世の常の流れでもあります。
その先輩方を見る中で、中年ころからしか分かりませんが、生き方の方向が定まっているなぁ、と振り返ります。
はたして私は、どうだろうか?
今朝の読書は、批評家の小林秀雄氏と哲学者の岡潔氏の対談録『人間の建設』から長い引用ですが、
(以下、『人間の建設』より)
小林)ドストエフスキーは自分で「白痴」が一番好きなんです。私も好きです。ドストエフスキーをよく見ますと、初めに方向が決まって、死ぬまでほかのことはしていません。おもしろいことですね。いろいろ作家を見ていますと、大体二十代で方向が決まって、それからあとはほかのことを考えていませんね。考えられないに違いない。そういう人は正直だから自分の身丈(みのたけ)にあったことしか考えようとしないのですな。精神を集中しているとか何とかいうことではなく、ほかのことを考える暇がない。その赴くままに歩いているんですね。ぼくはそう思うのです。岡さんも二十代にそういうことをおやりになって、方向は変わっていないでしょう。
岡)変えられませんよ。
小林)ぼくらも不思議なことだが、振りかえってみますと、二十代でこれはと思ったことは変えていませんね。それを一歩も出ていないのです。ただそれを少し詳しくしているだけですね。(中略)
(以上、『人間の建設』より転載)
私の変わった経験としたら、高校3年のクラス会の幹事を20代でやっていました。それも10年近くやりましたか?、幹事を別の人に変わったら、いつの間にか開催されなくなりました。
私の30代は、建築士事務所の独立、子育てと、あっという間に終わっていました。しかしそんな中でも、市民活動には参加して、人の縁を広げていた時代でもありました。
40歳を境に始めたのが、同業種交流から始まった異業種交流会の主催でした。3年の準備期間を経て本格的に動き出したのは42歳の時でした。
今振り返るに、私は、いつも仲間づくりをやっていたような気がしています。
異業種交流会「四季の会」をやっていたころ、40歳を前にした男女がよく私に「野口さんは、何をしたい、何になりたいのですか?」と聞いていました。私は、「「熊本の野口です」と言えるように、県内だけでなく、県外にもたくさんの知人友人がいるようになりたいですね」というようなことを語っていました。40代半ばには、年間100人以上、冗談ですが「7年間で1千人くらい会いたいですね」と言えるほど動いてました。
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大津町に在る国指定の江藤家住宅の見学会に参加していましました。良き建築の学びになりました。
能登半島地震の支援活動、<天地人のタイミング>機会を逃すな! 人生はすべて機会である。
令和6年元日、新年あけましておめでとうございます。
<五十歳から自由な開放感で>『林住期』オマケの人生、だからこそ自由より
>愛する人にめぐりあったら、その「甘い、やわらかい部分」をたいせつにして。
<世界平和へ旅をしよう>異業種交流会「四季の会」・秋の会(望年会)のご案内です。
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