一身に全責任を背負って事にあたるという型の人物は好まれない。〜谷沢永一〜
2016年08月15日
一身に全責任を背負って事にあたるという型の人物は好まれない。〜谷沢永一〜
オリンピックは、個人の能力が試される場所、しかし、その背後には多くのコーチたちが支える構図が見える。そして、その、世代交代が次のヒーローを生み出す。誰が支えているか?
意外に、日本人は注目するように思います。
さて、さまざまスポーツ界、市民活動団体、等々で、中心になる人物がいることは、誰もが認める事だと思います。しかし、その存在が認められ、在位が長くなると、世間はその存在そのものを胡散臭く思う事があります。
作家の谷沢永一氏が書いた『人間通』に、次の一節がありました。
(以下、『人間通』より転載)
万事を掌握していると広く世に認められた人物は必ず憎まれる。一身に全責任を背負って事にあたるという型の人物は好まれない。
彼奴は何物にも拘束されないで自由気儘に事をおこなっていると見るや否や、そこに何らかの邪まな事情が伏在するに違いないと想像する。“裏に何かある”と勘繰りの念を働かせるのであろう。
「あの会社はあの専務で保っている」などという評判が生まれたらよほど警戒せればならぬ。急いで目に立つ補佐役の顔を揃え、名の通った相談役を置き、合議制で事を進行していると見える体制を整えなければならない。人を人とも思わぬ、という言い立てが、我が国では有力者を批判する場に最も通例の公式なのである。
(以上、『人間通』より)
仕事をする事は必要ですが、役割を終えれば、汚名を出す前に去ることも必要と思います。みなさんの周りには、上記のような陰口を聞くようが方々はいませんか? 時代の変化に耐えうるリーダーとなれる努力も必要ですが、次の人材育成には、ホストを与える事も大事なように思います。
オリンピックは、個人の能力が試される場所、しかし、その背後には多くのコーチたちが支える構図が見える。そして、その、世代交代が次のヒーローを生み出す。誰が支えているか?
意外に、日本人は注目するように思います。
さて、さまざまスポーツ界、市民活動団体、等々で、中心になる人物がいることは、誰もが認める事だと思います。しかし、その存在が認められ、在位が長くなると、世間はその存在そのものを胡散臭く思う事があります。
作家の谷沢永一氏が書いた『人間通』に、次の一節がありました。
(以下、『人間通』より転載)
万事を掌握していると広く世に認められた人物は必ず憎まれる。一身に全責任を背負って事にあたるという型の人物は好まれない。
彼奴は何物にも拘束されないで自由気儘に事をおこなっていると見るや否や、そこに何らかの邪まな事情が伏在するに違いないと想像する。“裏に何かある”と勘繰りの念を働かせるのであろう。
「あの会社はあの専務で保っている」などという評判が生まれたらよほど警戒せればならぬ。急いで目に立つ補佐役の顔を揃え、名の通った相談役を置き、合議制で事を進行していると見える体制を整えなければならない。人を人とも思わぬ、という言い立てが、我が国では有力者を批判する場に最も通例の公式なのである。
(以上、『人間通』より)
仕事をする事は必要ですが、役割を終えれば、汚名を出す前に去ることも必要と思います。みなさんの周りには、上記のような陰口を聞くようが方々はいませんか? 時代の変化に耐えうるリーダーとなれる努力も必要ですが、次の人材育成には、ホストを与える事も大事なように思います。
Posted by ノグチ(noguchi) at 12:28│Comments(0)
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