村上ファンド実刑と、ウォール街のフェアな空気?
2007年09月03日
村上ファンド実刑と、ウォール街のフェアな空気?
~知識教育よりも、人間形成の徳育重視で~
今日、村上ファンドのインサイダー取引の判決が出ました。実刑2年、厳しい判決と思います。世論の色々な意見の中で「何で金儲けが悪いのか?」の言葉がテレビで流れていましたが、皆様の感想はいかがでしょうか?
かつて、仕事とは何か考えたことが有ります。暉峻淑子(てるおかいつこ)氏の著書に「豊かさの条件」と言うものがあります。その一節に、一人の銀行マンの一生が書かれていました。
戦前の大家族の末っ子として生まれ、銀行に丁稚奉公から始め、仕事しながら夜間の中学、高校、大学を卒業し、銀行にも働き続け、勤務時代から社会への恩返しを続け、退職後は夫婦とも質素な生活をしながら、不遇の学生に修学資金を支援する「足長おじさん・おばさん」を一生続けられました。妻に先立たれた後も支援を続けられ、自分はぼろぼろの服を着ながらも、不遇の子供たちへ修学資金を送り続けられました。
ただ一度、老人をホームから出たのは、明治の民衆運動を指導した「田中正造記念館」を訪問した時だけだったと書かれていました。また死後の遺産も少なかったのですが、全て「足長基金」に寄付をされたと言います。
さて私は、中年になり色々迷いの中で、影響を受けたいくつかの本に出会いました。その一つが篠原一教授の「市民の政治学」です。その一節に、仕事には3つの意味(役割)がある。
一つは、日々の生活を支えるために金を稼ぐ仕事の「労働」
もう一つは、現代社会を支える有償・無償のボランティアの「仕事」
例:婦人会、老人会、PTA、消防団等
もう一つは、未来社会のために働き、見返りのない仕事の「活動」
例:地球温暖化防止活動、環境会議、アースデイ、フェアトレード等
があると説明がありました。そして、これをそれぞれの個人の考え(生活の中)でバランス良くやるのが大人であるとも書かれていました。
これと似た言葉が、2400年前のギリシャのリーダー、ペリクレスの演説の一説にあります。人が社会とどう関わるか、いにしえからの重要な課題であると言う気がします。
昨日、ここ4週間分の新聞を整理していて、共同通信配信の連載「新たな自画像をもとめて」のシリーズで、ウォール街で働く日本女性のことが書かれていました。
アメリカ育ちのエリートで、大学・大学院を3年・1年で卒業し、ゴールドマン・サックス社に入社し、多忙な仕事しながら成長し、実力をつけて行くのですが、仕事に追われ続けてついに2年後「とにかく休まなきゃ」と退社し心と体の休養に入るのですが、1年後、またJPモルガン・チュースに就職し、以前の生活に戻ってしまったと言います。
どうして戻ったか、「もう一度、元気な状態でチャレンジしたかったのです」の書かれていました。そして別の言葉で「厳しいけどフェアな空気が私には魅力だった」とありました。
株取引の職場は、能力を付けヘッドハンティングも日常茶飯事ですが、中にはインサイダー取引で逮捕される人も居る。違法でもチャンスをつかもうとする人の存在は、ここでは珍しくないと言います。世界のマネーゲーム競技の本場とでも言いましょうか、欲の渦巻く世界です。
しかし、そのアメリカは、NGO、NOP活動がとても盛んな国でもあります。仕事の意味3つの内「ボランティア」と「未来社会のための仕事」にも、多くの時間と金を注ぎ込んでいますし、とても多くの人々が参加しています。この分野は、東洋哲学でも重要視されています。その証拠が、「積善の奨め」を書いた中国古典がたくさんあります。これは、世界のどの宗教にもつながる理念だと思います。
ただ、今の日本社会が仕事の中で金儲けの「労働」一辺倒になっていることが、社会に弊害をもたらしていると感じます。その最たる行為が、「ライブドア事件」「村上ファンドア事件」、かつての「ねずみ講事件」や「豊田商事事件」と思います。
色々とその時代で、やり方を変えて来たのですが、仕事の分野の社会貢献の二つの意味が欠落しているから、世間から糾弾されると思います。元々仕事は、「社会貢献」から始まっていると私は考えて来ました。社会貢献と金儲けのバランスが大事なように思います。
と今まで、高い理想の話をして来ましたが、でもお金は重要と東洋哲学の「性善説」の代表格、孟子も説いています。
「恒産なければ、因って恒心なし」
恒産:毎日の生活を十分に支えることのできる安定収入
のこと。そして、生活の安定がなければ、人の心が
ゆらぎやすく、悪事へも走りやすい。
心配は、現代の日本です。「恒産があるにもかかわらず、恒心(良心、積善の心)を亡くしている」かに見える人がいないでもありません。国全体の経済レベルが高くなっても、簡単には、人々の恒心を期待することができないかもしれないと、最近の株取引事件を考えると感じます。
経済は、その時々のルールがありますが、元々の経済活動の意味を今一度、「立ち返る」と、今回のような判決に至る行為や、アメリカのウォール街でのインサイダー取引に、手を染めることは減って来ると思います。でも、人の心は弱いものと思います。
昨日の新聞の中の投書に、「美しい国づくりよりも徳育教育を・・」の重要性を説いたものがありました。多くの大人たちが感じているようです。
世は、年金、年金騒動の参議院選挙なっています。生活の安定にはとても重要と思います。しかし、次世代の教育も大切と思います。教育再生議論が、いつの間にか消えているのがとても心配です。やはり、世の老人・熟年パワーは、超高齢化とともに、世を揺るがす力に成っているように感じます。みなさまの感想はいかがでしょうか。
~知識教育よりも、人間形成の徳育重視で~
今日、村上ファンドのインサイダー取引の判決が出ました。実刑2年、厳しい判決と思います。世論の色々な意見の中で「何で金儲けが悪いのか?」の言葉がテレビで流れていましたが、皆様の感想はいかがでしょうか?
かつて、仕事とは何か考えたことが有ります。暉峻淑子(てるおかいつこ)氏の著書に「豊かさの条件」と言うものがあります。その一節に、一人の銀行マンの一生が書かれていました。
戦前の大家族の末っ子として生まれ、銀行に丁稚奉公から始め、仕事しながら夜間の中学、高校、大学を卒業し、銀行にも働き続け、勤務時代から社会への恩返しを続け、退職後は夫婦とも質素な生活をしながら、不遇の学生に修学資金を支援する「足長おじさん・おばさん」を一生続けられました。妻に先立たれた後も支援を続けられ、自分はぼろぼろの服を着ながらも、不遇の子供たちへ修学資金を送り続けられました。
ただ一度、老人をホームから出たのは、明治の民衆運動を指導した「田中正造記念館」を訪問した時だけだったと書かれていました。また死後の遺産も少なかったのですが、全て「足長基金」に寄付をされたと言います。
さて私は、中年になり色々迷いの中で、影響を受けたいくつかの本に出会いました。その一つが篠原一教授の「市民の政治学」です。その一節に、仕事には3つの意味(役割)がある。
一つは、日々の生活を支えるために金を稼ぐ仕事の「労働」
もう一つは、現代社会を支える有償・無償のボランティアの「仕事」
例:婦人会、老人会、PTA、消防団等
もう一つは、未来社会のために働き、見返りのない仕事の「活動」
例:地球温暖化防止活動、環境会議、アースデイ、フェアトレード等
があると説明がありました。そして、これをそれぞれの個人の考え(生活の中)でバランス良くやるのが大人であるとも書かれていました。
これと似た言葉が、2400年前のギリシャのリーダー、ペリクレスの演説の一説にあります。人が社会とどう関わるか、いにしえからの重要な課題であると言う気がします。
昨日、ここ4週間分の新聞を整理していて、共同通信配信の連載「新たな自画像をもとめて」のシリーズで、ウォール街で働く日本女性のことが書かれていました。
アメリカ育ちのエリートで、大学・大学院を3年・1年で卒業し、ゴールドマン・サックス社に入社し、多忙な仕事しながら成長し、実力をつけて行くのですが、仕事に追われ続けてついに2年後「とにかく休まなきゃ」と退社し心と体の休養に入るのですが、1年後、またJPモルガン・チュースに就職し、以前の生活に戻ってしまったと言います。
どうして戻ったか、「もう一度、元気な状態でチャレンジしたかったのです」の書かれていました。そして別の言葉で「厳しいけどフェアな空気が私には魅力だった」とありました。
株取引の職場は、能力を付けヘッドハンティングも日常茶飯事ですが、中にはインサイダー取引で逮捕される人も居る。違法でもチャンスをつかもうとする人の存在は、ここでは珍しくないと言います。世界のマネーゲーム競技の本場とでも言いましょうか、欲の渦巻く世界です。
しかし、そのアメリカは、NGO、NOP活動がとても盛んな国でもあります。仕事の意味3つの内「ボランティア」と「未来社会のための仕事」にも、多くの時間と金を注ぎ込んでいますし、とても多くの人々が参加しています。この分野は、東洋哲学でも重要視されています。その証拠が、「積善の奨め」を書いた中国古典がたくさんあります。これは、世界のどの宗教にもつながる理念だと思います。
ただ、今の日本社会が仕事の中で金儲けの「労働」一辺倒になっていることが、社会に弊害をもたらしていると感じます。その最たる行為が、「ライブドア事件」「村上ファンドア事件」、かつての「ねずみ講事件」や「豊田商事事件」と思います。
色々とその時代で、やり方を変えて来たのですが、仕事の分野の社会貢献の二つの意味が欠落しているから、世間から糾弾されると思います。元々仕事は、「社会貢献」から始まっていると私は考えて来ました。社会貢献と金儲けのバランスが大事なように思います。
と今まで、高い理想の話をして来ましたが、でもお金は重要と東洋哲学の「性善説」の代表格、孟子も説いています。
「恒産なければ、因って恒心なし」
恒産:毎日の生活を十分に支えることのできる安定収入
のこと。そして、生活の安定がなければ、人の心が
ゆらぎやすく、悪事へも走りやすい。
心配は、現代の日本です。「恒産があるにもかかわらず、恒心(良心、積善の心)を亡くしている」かに見える人がいないでもありません。国全体の経済レベルが高くなっても、簡単には、人々の恒心を期待することができないかもしれないと、最近の株取引事件を考えると感じます。
経済は、その時々のルールがありますが、元々の経済活動の意味を今一度、「立ち返る」と、今回のような判決に至る行為や、アメリカのウォール街でのインサイダー取引に、手を染めることは減って来ると思います。でも、人の心は弱いものと思います。
昨日の新聞の中の投書に、「美しい国づくりよりも徳育教育を・・」の重要性を説いたものがありました。多くの大人たちが感じているようです。
世は、年金、年金騒動の参議院選挙なっています。生活の安定にはとても重要と思います。しかし、次世代の教育も大切と思います。教育再生議論が、いつの間にか消えているのがとても心配です。やはり、世の老人・熟年パワーは、超高齢化とともに、世を揺るがす力に成っているように感じます。みなさまの感想はいかがでしょうか。
人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜
議長の活動内容について(10月)
信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜
<地域の文化レベル>数字で見る人口に対する図書館の規模、宇土市の人口は現在36483人のための図書館。
豊かさとは何かを、自分も地域も社会も含めて、考える一年になる気がする。〜令和6年、龍の年〜
令和6年元日、新年あけましておめでとうございます。
議長の活動内容について(10月)
信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜
<地域の文化レベル>数字で見る人口に対する図書館の規模、宇土市の人口は現在36483人のための図書館。
豊かさとは何かを、自分も地域も社会も含めて、考える一年になる気がする。〜令和6年、龍の年〜
令和6年元日、新年あけましておめでとうございます。
Posted by ノグチ(noguchi) at 00:51│Comments(0)
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