(南無阿弥陀仏)なぜ唱えるか、その意味(疑問)とは
2009年04月22日
(南無阿弥陀仏)なぜ唱えるか、その意味(疑問)とは
五木寛之氏の著書「他力(TARIKI)」に南無阿弥陀仏の起りが書かれていました。五木氏は、晩年仏教の大学へ通い、宗教について学んだ方ですが、著書の中で法然の「念仏するだけで救われる」の問いを探すために、学校で勉強されました。
「他力」の説明によると、唱える「南無阿弥陀仏」の言葉を意味を、インドの言語と対比させて説明あり、なるほどと思ったのでご紹介します。
まず、南無阿弥陀仏=ナムアミダブツ、とカタカナにして、この言葉は、3つの言葉が合わさったいると説明されています。
<南無>
サンスクリット語の「ナマス(namas)」を漢字にしたもの
ナマス(又は、ナモ)は、尊敬と信頼を表す言葉で、イン
ドの人が使う「ナマス・テー」と結びついていて、「テー」
は、「あなた」の意味。
よって<南無>は、「あなたにすべてをお任せします」と一念の表現になるのではと、五木が解説しています。
<阿弥陀>
サンスクリット語の「アミタース(Amitayus)」と、「アミ
ターバ(Amitabha)」となります。
中国訳は、アミタース<無量寿>、アミターバ<無量光>
アミタース:宇宙に脈打つ終わりなき生命にエネルギー
アミターバ:世界の全てをくまなく照らす真理の光
<仏(ぶつ)>
サンスクリット語の「ブッダ(Buddha)」です。
意味は、「目覚めた人」、「悟った人」のこと。
目覚めた人の代表が「釈迦」で、代名詞に使われることとなった。
よって、<阿弥陀仏>は、「無限の生命力」と「真理の光」の意味で使われています。
<念仏とは>
念仏を唱えることで、その見えない大きな生命力を実感して、この世の闇を照らす光に触れること、だったのではないでしょうか。
(感 想)
尊敬と信頼、生命にエネルギー、真理の光、目覚めた人、無限の生命力、・・・
どれも人生にとって、大事な経験と思っています。
今日は、熊本のゆかりのある歴史的な人物の勉強でもしたいと思いました。
五木寛之氏の著書「他力(TARIKI)」に南無阿弥陀仏の起りが書かれていました。五木氏は、晩年仏教の大学へ通い、宗教について学んだ方ですが、著書の中で法然の「念仏するだけで救われる」の問いを探すために、学校で勉強されました。
「他力」の説明によると、唱える「南無阿弥陀仏」の言葉を意味を、インドの言語と対比させて説明あり、なるほどと思ったのでご紹介します。
まず、南無阿弥陀仏=ナムアミダブツ、とカタカナにして、この言葉は、3つの言葉が合わさったいると説明されています。
<南無>
サンスクリット語の「ナマス(namas)」を漢字にしたもの
ナマス(又は、ナモ)は、尊敬と信頼を表す言葉で、イン
ドの人が使う「ナマス・テー」と結びついていて、「テー」
は、「あなた」の意味。
よって<南無>は、「あなたにすべてをお任せします」と一念の表現になるのではと、五木が解説しています。
<阿弥陀>
サンスクリット語の「アミタース(Amitayus)」と、「アミ
ターバ(Amitabha)」となります。
中国訳は、アミタース<無量寿>、アミターバ<無量光>
アミタース:宇宙に脈打つ終わりなき生命にエネルギー
アミターバ:世界の全てをくまなく照らす真理の光
<仏(ぶつ)>
サンスクリット語の「ブッダ(Buddha)」です。
意味は、「目覚めた人」、「悟った人」のこと。
目覚めた人の代表が「釈迦」で、代名詞に使われることとなった。
よって、<阿弥陀仏>は、「無限の生命力」と「真理の光」の意味で使われています。
<念仏とは>
念仏を唱えることで、その見えない大きな生命力を実感して、この世の闇を照らす光に触れること、だったのではないでしょうか。
(感 想)
尊敬と信頼、生命にエネルギー、真理の光、目覚めた人、無限の生命力、・・・
どれも人生にとって、大事な経験と思っています。
今日は、熊本のゆかりのある歴史的な人物の勉強でもしたいと思いました。
政治家の市長と、政治家の市議との活動の比較を指摘した、素晴らしい質問と思います。
<日々人間力を高める>小人は水に溺れ、君子は口に溺れ、大人は民に溺る。〜『礼記』〜
限りなく正確に、自分を表すこと。私たちは馴れるべきなのである。〜曽野綾子著『本物の「大人」になるヒント』より〜
ごみの不法投棄、はじまりはタバコの吸い殻のポイ捨てから!〜熊日『読者ひろば』〜
<善意への感謝も忘れる>最初は好意から寄付に感謝だったのが、毎年毎年続くと当たり前(利権?)になる。
<猟銃立てこもり事件>凶悪な人というものは、そのなすことすべてが、ねじれて道理に反している。(『菜根譚』訳文より)
<日々人間力を高める>小人は水に溺れ、君子は口に溺れ、大人は民に溺る。〜『礼記』〜
限りなく正確に、自分を表すこと。私たちは馴れるべきなのである。〜曽野綾子著『本物の「大人」になるヒント』より〜
ごみの不法投棄、はじまりはタバコの吸い殻のポイ捨てから!〜熊日『読者ひろば』〜
<善意への感謝も忘れる>最初は好意から寄付に感謝だったのが、毎年毎年続くと当たり前(利権?)になる。
<猟銃立てこもり事件>凶悪な人というものは、そのなすことすべてが、ねじれて道理に反している。(『菜根譚』訳文より)
Posted by ノグチ(noguchi) at 23:26│Comments(1)
│モラル・マナー
この記事へのコメント
Posted by Ichiro at 2009年04月23日 12:45
頼みの綱のWikipediaもあんまり書いてない。こっちのほうがわかりやすい。
大声だと法華宗の方が迫力あるが
失礼しました。
Ichiro