(思想)人との論争、実は自分と闘っている
2009年04月01日
(思想)人との論争、実は自分と闘っている
今年、熊本は、幕末の政治思想家、横井小楠の生誕200年で色々な行事が準備されています。私もその一つに関わっているのですが、一人ひとり小楠の理解が微妙に異なることに気付きます。
ここ数日、私のブログに厳しい書き込みを続けている人がいます。はじめは、受け流すように応えていたのですが、少々視野が一直線で、相手の意見を受け入れない方で、収まるのを待っていたのですが、なかなか収まりません。
そこで、匿名の論議を自分なりに考えて見ました。そもそも議論とは、面と向ったやるものですが、今のご時世、「メールマガジン」「チャット通信」「テレビ会談」等々、どんどん進化します。ただ、インターネットでの匿名での議論(相当の時差あり)は、とてもむずかしい気がします。
私の基本は、インターネットは出会いを支援するツールと考えています。ただし、興味ない方とは会っても、互に仕方ありませんので、本音でトークして来ました。そうすると、議論を仕掛けて来る人とも、本音で語るのですが、問題は匿名性です。
匿名のまま、論破しようとする方に、10年近いインターネット利用の中で、何度か会いました。こちらが謙虚な態度で接していると、益々声高な態度になって行きます。当初から、こちらの考えを強調すると悪いかなと、考えているのですが、相手の方は一向に相手を思いやる態度になりません。
おもむろに、こちらの主義主張を伝えると、多様な言葉を使い、反論されます。その時何時も感じるのが、
「この人は、自分の中での論争をがまとまらず、匿名な人へ向け自分の葛藤ぶつけているでは?」
ではないか。多分、周りに同じことを語れる師友の方が少ないか、居ないのだろうなとかわいそうになったりします。
その点、私は、社会活動に関わるようになり18年になりますが、1200人を越える方々と出会い、数名ですが素晴らしい教示を頂く師を見つけ、また喧々諤々の議論を出来る仲間も居て、幸せと思います。
昭和の批評家の小林秀雄氏の語録に、次の言葉があります。
(本文)
思想の敵が反対の思想であると考えるのは、お目出たい限りである。思想が闘い鍛えられるのは、現実そのものの矛盾によってである。言いかえれば、思想の真の敵は己れ自身にあるのである。どのような思想も安全ではない。(中略)
人生を解釈する上で非常に便利な思想というものは、その便利さで身を滅ばす。便利さが新たな努力を麻痺させるからだ。(中略)
(以上、「人生の鍛錬」)
思想(理念)とは、それぞれが持ち、それぞれ違う、そこが大事な事と思います。ある本に、「俺とお前に考えは、違うが、お前の考えは俺が命がけで保証する。」とありました。相手の考えを論破する事ばかり考えるより、こんな議論をしたいものです。
また、江戸期の儒家、佐藤一斎の遺訓「言志四録」に、次の一節があります。
「志は高く、態度は謙虚に」
(現代語訳)
志が人より高いところにあるというのは、決して傲慢な思いではない。
自分の身を持するのに人の後ろにあるというのは、謙虚な態度であって萎縮した態度でない。
今日は、祖母の生まれ実家の叔父の七回忌で、法要ありす。久々にあう親族の先輩から、昔の話が聞けるのがとても楽しみです。
*参考資料:小林秀雄著「人生の鍛錬」
渡邊五郎三郎編著「佐藤一斎一日一言」~言志四録を読む~
今年、熊本は、幕末の政治思想家、横井小楠の生誕200年で色々な行事が準備されています。私もその一つに関わっているのですが、一人ひとり小楠の理解が微妙に異なることに気付きます。
ここ数日、私のブログに厳しい書き込みを続けている人がいます。はじめは、受け流すように応えていたのですが、少々視野が一直線で、相手の意見を受け入れない方で、収まるのを待っていたのですが、なかなか収まりません。
そこで、匿名の論議を自分なりに考えて見ました。そもそも議論とは、面と向ったやるものですが、今のご時世、「メールマガジン」「チャット通信」「テレビ会談」等々、どんどん進化します。ただ、インターネットでの匿名での議論(相当の時差あり)は、とてもむずかしい気がします。
私の基本は、インターネットは出会いを支援するツールと考えています。ただし、興味ない方とは会っても、互に仕方ありませんので、本音でトークして来ました。そうすると、議論を仕掛けて来る人とも、本音で語るのですが、問題は匿名性です。
匿名のまま、論破しようとする方に、10年近いインターネット利用の中で、何度か会いました。こちらが謙虚な態度で接していると、益々声高な態度になって行きます。当初から、こちらの考えを強調すると悪いかなと、考えているのですが、相手の方は一向に相手を思いやる態度になりません。
おもむろに、こちらの主義主張を伝えると、多様な言葉を使い、反論されます。その時何時も感じるのが、
「この人は、自分の中での論争をがまとまらず、匿名な人へ向け自分の葛藤ぶつけているでは?」
ではないか。多分、周りに同じことを語れる師友の方が少ないか、居ないのだろうなとかわいそうになったりします。
その点、私は、社会活動に関わるようになり18年になりますが、1200人を越える方々と出会い、数名ですが素晴らしい教示を頂く師を見つけ、また喧々諤々の議論を出来る仲間も居て、幸せと思います。
昭和の批評家の小林秀雄氏の語録に、次の言葉があります。
(本文)
思想の敵が反対の思想であると考えるのは、お目出たい限りである。思想が闘い鍛えられるのは、現実そのものの矛盾によってである。言いかえれば、思想の真の敵は己れ自身にあるのである。どのような思想も安全ではない。(中略)
人生を解釈する上で非常に便利な思想というものは、その便利さで身を滅ばす。便利さが新たな努力を麻痺させるからだ。(中略)
(以上、「人生の鍛錬」)
思想(理念)とは、それぞれが持ち、それぞれ違う、そこが大事な事と思います。ある本に、「俺とお前に考えは、違うが、お前の考えは俺が命がけで保証する。」とありました。相手の考えを論破する事ばかり考えるより、こんな議論をしたいものです。
また、江戸期の儒家、佐藤一斎の遺訓「言志四録」に、次の一節があります。
「志は高く、態度は謙虚に」
(現代語訳)
志が人より高いところにあるというのは、決して傲慢な思いではない。
自分の身を持するのに人の後ろにあるというのは、謙虚な態度であって萎縮した態度でない。
今日は、祖母の生まれ実家の叔父の七回忌で、法要ありす。久々にあう親族の先輩から、昔の話が聞けるのがとても楽しみです。
*参考資料:小林秀雄著「人生の鍛錬」
渡邊五郎三郎編著「佐藤一斎一日一言」~言志四録を読む~
人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜
議長の活動内容について(10月)
信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜
<地域の文化レベル>数字で見る人口に対する図書館の規模、宇土市の人口は現在36483人のための図書館。
豊かさとは何かを、自分も地域も社会も含めて、考える一年になる気がする。〜令和6年、龍の年〜
令和6年元日、新年あけましておめでとうございます。
議長の活動内容について(10月)
信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜
<地域の文化レベル>数字で見る人口に対する図書館の規模、宇土市の人口は現在36483人のための図書館。
豊かさとは何かを、自分も地域も社会も含めて、考える一年になる気がする。〜令和6年、龍の年〜
令和6年元日、新年あけましておめでとうございます。
Posted by ノグチ(noguchi) at 12:13│Comments(2)
│私の意見
この記事へのコメント
Posted by ノグチ(noguchi)
at 2009年04月01日 22:39

ニフティの#8時代は 実名で通しました。自分の今の掲示板も皆に倣ってIchiroとしていますが、やはり実名を出すべきでしょうね。
少々考えています。ローマ字は出そうかな。
検索するとすぐ判るとは思いますが。
Ichiro
少々考えています。ローマ字は出そうかな。
検索するとすぐ判るとは思いますが。
Ichiro
Posted by Ichiro at 2009年04月02日 11:33
書き込みありがとございます。
議論は、基になるテーマに対してするもと思います。
私の書いた日記とは、全く関係ない話題で、私の知識、認識不足を突いてこられます。
政治の暗部の事も、少しは知っていますが、それを書いて市民は良き社会を創造するとは思えません。
より良きイメージが、次世代ビジョンに必要と思います。だから、孔子、孟子の教示を使いつつ、世界不況を克服するリーダーを育てる気運を作ろうとすると、マイナス、マイナスのことばかりが書き込まれます。暗部の問題がありますが、今は、そうじゃないでしょうと言いたい。
ただ、それだけです。これからも助言よろしくお願します。