信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜
2024年09月17日
信じれば実現する。「独立する。家を建てよ。著書を出せ」と日々イメージする。〜中村天風〜
(長文です。時間ある時にお読みください)
朝目覚めて、寝室の本の整理をしていて、以前にリサイクルブック店で購入した中村天風に関する著書に目が止まった。開いたページに、
(以下、本より)
「『論より証拠』だ。信じてやってみたまえ。効果があるから、効果があったという厳然たる事実が、教えを納得させるだろう。納得したならば、この道を歩み続けるがいい」
天風は言う。
「信念が確固不抜のものなれば、こうなりたいと念願のすることがすべて思い通りにかなってくる」
(以上、池田光著『中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない』より)
本の一節には、
(以下、本より転載)
命令的な口調で暗示をあたえる。
「家を建てよ」
「課長になれ」
「著書を出せ」
と、繰り返し心にイメージを描くことと自己暗示を行い続けることで、力の源である潜在意識に働きかける。
(以上、本より)
我が人生に当てはまると、進学が上手くいかずに、一旦は社会人になったが、一年後に一念発起、建築の専門学校から建築設計の道に入った。
目標は、"30歳で独立する"でした。
しかし、その実現は、一級建築士の試験が上手く行かず、1年遅れ、さらに事務所開設の申請は2年遅れでした。
独立して4年後になり、大型物件の仕事が始まった。さらに仕事が増える中、強力な台風が宇土市を襲い、所有林の杉檜が100本以上倒れる被害を受けた。
台風後の秋、地域行事に参加して懇親会の席で、「山の木見て考えろ、家でも建てないか、親父ともう歳ばい」と近所の大工から意見された。私の父は、大工でした。
さてどうする・・・
翌年の売り上げは大きくなるので、税金を納めて公的資金を使い(住宅金融公庫)建てることに向かった。37歳11ヶ月で家は完成した。
問題は、3つ目の「著書を出せ」です。昨夜のコメントでも紹介した異業種交流会「四季の会」を40歳から本格的に活動を始めた。多い時は、年間に6回開催することもあり、50歳になる年の春に電話が来た。
「野口さん、40代をまとめないか、とにかく書けたら私の所へ持って来なさい」
と異業種交流会の始まりから関わる大学教授からの要請でした。私は、約3ヶ月半かけて、87の活動と好きな名言を30ほどまとめて、教授のところへ持って行くと、
「これでは本にならない、3つか、4つのグループに分けて来なさい」
から、また半月かけてまとめ、相談に行きました。すると、
「これから先は、あなたの福岡の国文学者の先輩にお願いして、チェックしてもらいなさい」
と指示され、それから3ヶ月福岡へが通うことになった。そこでも注文が、「87ではなくて、もう一つ増やし88の実践報告に」とあり、出来上がったのが、40代の活動をまとめた本、
『なかまづくり まちづくり』
です。51歳の正月に出来上がり、出版発表と異業種交流会「四季の会」10周年を開催しました。
独立(フリーター)が、31歳6ヶ月でした。
家の新築完成が、37歳11ヶ月でした。
本の出版が、51歳7ヶ月でした。
「独立」は自らの決意からでしたが、「家の新築」と「本の出版」は先輩の助言から、さらに「市議会議員への挑戦」(52歳3ヶ月)も地域の先輩の後押しからでした。
振り返るに、独立は自己責任で始めましたが、他の出来事は、周りからのアドバイスを活かして来た、私の中年期のように思います。朝から中村天風哲学に触れ、振り返りました。
話が長くなり、最後までお読みいただきありがとうございます。
(長文です。時間ある時にお読みください)
朝目覚めて、寝室の本の整理をしていて、以前にリサイクルブック店で購入した中村天風に関する著書に目が止まった。開いたページに、
(以下、本より)
「『論より証拠』だ。信じてやってみたまえ。効果があるから、効果があったという厳然たる事実が、教えを納得させるだろう。納得したならば、この道を歩み続けるがいい」
天風は言う。
「信念が確固不抜のものなれば、こうなりたいと念願のすることがすべて思い通りにかなってくる」
(以上、池田光著『中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない』より)
本の一節には、
(以下、本より転載)
命令的な口調で暗示をあたえる。
「家を建てよ」
「課長になれ」
「著書を出せ」
と、繰り返し心にイメージを描くことと自己暗示を行い続けることで、力の源である潜在意識に働きかける。
(以上、本より)
我が人生に当てはまると、進学が上手くいかずに、一旦は社会人になったが、一年後に一念発起、建築の専門学校から建築設計の道に入った。
目標は、"30歳で独立する"でした。
しかし、その実現は、一級建築士の試験が上手く行かず、1年遅れ、さらに事務所開設の申請は2年遅れでした。
独立して4年後になり、大型物件の仕事が始まった。さらに仕事が増える中、強力な台風が宇土市を襲い、所有林の杉檜が100本以上倒れる被害を受けた。
台風後の秋、地域行事に参加して懇親会の席で、「山の木見て考えろ、家でも建てないか、親父ともう歳ばい」と近所の大工から意見された。私の父は、大工でした。
さてどうする・・・
翌年の売り上げは大きくなるので、税金を納めて公的資金を使い(住宅金融公庫)建てることに向かった。37歳11ヶ月で家は完成した。
問題は、3つ目の「著書を出せ」です。昨夜のコメントでも紹介した異業種交流会「四季の会」を40歳から本格的に活動を始めた。多い時は、年間に6回開催することもあり、50歳になる年の春に電話が来た。
「野口さん、40代をまとめないか、とにかく書けたら私の所へ持って来なさい」
と異業種交流会の始まりから関わる大学教授からの要請でした。私は、約3ヶ月半かけて、87の活動と好きな名言を30ほどまとめて、教授のところへ持って行くと、
「これでは本にならない、3つか、4つのグループに分けて来なさい」
から、また半月かけてまとめ、相談に行きました。すると、
「これから先は、あなたの福岡の国文学者の先輩にお願いして、チェックしてもらいなさい」
と指示され、それから3ヶ月福岡へが通うことになった。そこでも注文が、「87ではなくて、もう一つ増やし88の実践報告に」とあり、出来上がったのが、40代の活動をまとめた本、
『なかまづくり まちづくり』
です。51歳の正月に出来上がり、出版発表と異業種交流会「四季の会」10周年を開催しました。
独立(フリーター)が、31歳6ヶ月でした。
家の新築完成が、37歳11ヶ月でした。
本の出版が、51歳7ヶ月でした。
「独立」は自らの決意からでしたが、「家の新築」と「本の出版」は先輩の助言から、さらに「市議会議員への挑戦」(52歳3ヶ月)も地域の先輩の後押しからでした。
振り返るに、独立は自己責任で始めましたが、他の出来事は、周りからのアドバイスを活かして来た、私の中年期のように思います。朝から中村天風哲学に触れ、振り返りました。
話が長くなり、最後までお読みいただきありがとうございます。