毎日続く、生徒の自殺、いじめ事件

ノグチ(noguchi)

2007年10月20日 00:58

毎日続く、生徒の自殺、いじめ事件編集する 2006年10月30日09:40  毎日続く、小中学校生徒の自殺、いじめ事件。とても心が痛みます。子供たちの心を聞いてくれるところは無いのだろうか?我が子も、高校生、中学生で、他人事ではない。

「他人事ではない!」と言う気持ちが、保護者や地域の人たちにどれだけあるだろうか?

「我が子でないから、他の地域のことだから、日本には色々事件があるね。・・世界の貧困は直らないな」等々、感心の範囲は広がり薄れて行く。果たしてそれで良いだろうか?

 社会を良くするのは、「人々の思いがつながって連携ができ、事件を良くちようとする気づかい起こる」と何かの本で読みました。

「熊本の事件」
 熊本でも先月、校内で刃物を使って生徒同士が喧嘩して、大けがを下事件があったのですが、即保護者と地域が連携して、対応したことが大きな混乱を招かなかった。この事件を大きくかき回したのはテレビ取材であったと、友人の保護者が話してくれた。

 夜、玄関の戸をたたく音があり、出てみるとマイクを突き出し、事件について聞くテレビ取材班、事件当日の夜は酷く、帰宅の生徒や地域の方への配慮も人権もあったものではなかったと聞きました。
 事件を起こした生徒は、小さな地域エリアの同級生、このような事件は、報道をそんなにワイドショー的にやって良いのだろうかと感じた話していました。

「報道から、子供たちの心を守る保護者の連携」
 事件の次の日から、生徒全員を保護者が学校まで送迎することが、どこから発案されたのは定かでないですが、テレビ、新聞等のインタビューを生徒が受けたことで、回りの生徒から冷やかしや嫌がらせが事件当日あったと聞き、親たちが心の動揺を心配して、送り迎えをすることが、保護者全員が一丸になってやった。

 数日すると、地域全体でもその取り組みが理解され、報道が収まったと言います。この行動から、子供たちは次に地域を担う人財であることを大人たちが認識していること、それにくらべ日本の社会を担う存在である中学生の心の教育を考えない、テレビ報道の配慮の無さを情けなく思うばかりです。

 さて、学校の生徒と保護者の連携についてですが、上記の中学校の管理職も先生もPTAも地域の方も非常に連携ができ、事件後の生徒の心のケア、対外への説明責任をてきぱきと対応してことで、騒動にならずに治まったと言います。地域協働の学校づくりができていたことが良かったのではと思います。

「危機管理は、日常の心構え」
 危機管理、あるいは思いもよらぬ出来事に、動揺せず長期の視点と、緊迫する目の前の処理を的確に思考できる人材の育成が、職場で為されているか、あるいは個人が意識しているかにかかっているかと思います。
 友人が以前、そのような状況にあるとき、訪ねると落ち着いた様子で、淡々と語り、対応をしていたことを思い出す。「私も色々と経験をして来たから」と一言、その時に私から「菜根譚と言う本を知っているか」聞くと、「学生時代から知っていて、たまに読むことがある」と語ってくれた。要は、日常からの心構えの近いではと感じたことを思い出す。

 現在の教育現場は、あまりにも上部から指令(管理)が進み、身動きが取れない分、考えない教職員がいるのではと思います。企業では、「戦略的思考」と言う考えを徹底しているところなどは、良い面(現場)は当たり前ですが、危機的な状況下でどうするかの視点を忘れず日常の業務で考えさせている。この違いは、とても大きいと思います。
 なんでも自分で考え判断し対応できる教師(人物)に、自分で育てるしかないのかもしれません。

「命を第一に、生徒と話すことが最重要項目」
 願いは、子供たちの心と努めて時間を作り、一人ひとりと語る時間を持って欲しいと思います。そして、教師自身が率先垂範で、生きるとは何か示して欲しい、よの厳しさを含めて心を開き語る時間を、教育現場に持てるゆとりが本当のゆとり教育ではないかと思います。
 心を病んでいる子供たちの心と親も、教師も、地域も静かに聴く時間を作る努力をお願いします。
 亡くなった生徒のご冥福を願い、そして早く家族、学校、地域が語り心を開き、二度と同様の事件を起こさない連携が生まれること願っています。

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