30年後の大同窓会と「教師憲章」
熊本は、高校の出身校で会話が始まると言われるくらい、高校の存在感が大きいのですが、そのお陰で少子化に伴う、高校再編論議で熊本の教育が地域と教育委員会、保護者と大きく揺れています。
・母校へ恩返し、同窓会幹事と学校への寄付
9月は毎年、母校熊本県立宇土高校の大同窓会が開催されます。宇土高校同窓会は、戦前の宇土中学以来の同窓生が集まる会で、卒業後30年目の同窓生が幹事を努めることと、幹事の同級生だけで30万円を集め、母校へ寄付する慣習があります。
昨年が私たちの担当する大同窓会でした。県下高校の音楽指導で知られる岩代先生(NHK大河ドラマ作曲者の岩代太朗氏の叔父)指揮の吹奏楽部演奏のオープニング出始まりました。更に会長の挨拶時には、インターハイ・ボクシングでチャンピオンになった、宇土高3年の林君の表彰を行いました。巷では、ハンカチ王子が有名ですが、母校の高校チャンピオンの挨拶の閉めの言葉は「感謝」でした。
林君は「1年間休学のハンディを乗り越えて優勝できたのは、監督や先輩のお陰です。私は将来、指導を受けた先生・コーチのような指導者になりたいので先生をめざして勉強します」と気持ちと語った。
林君の挨拶の素晴らしさが、会場の緊張感を爽やかな空気に変え、こんな高校生が母校で育っていることを、参加の同窓生が誇りに思ったここと感じました。
宇土高同窓会伝統の「卒業30年後の幹事」と母校へ「30万円寄付」は、何時始まったかは定かでないですが、幹事だけの役でなく、寄付を集めるには、何度となく会合と準備会を開催し、度々顔を合わせます。
幹事年代は大変なのですが、同窓会を終えて感じることは、30年後に、同級の仲間と「青春」思い出させてもらった言う気がします。毎年の大同窓会は、それぞれの年代で個性的な企画と運営で毎回500人集まる楽しい会になっています。
幹事世代の次の目標は、50年後に母校へ20万円相当の図書の寄贈です。今後は、それに向けて何年か越しに、絆を確かめる同級会をしながら、楽しく年を重ねて行きたいと思っています。
・「教師憲章」(安岡正篤著「人生の五計」より)
第1章
教育は職業的・社会的成功を目的とする手段でなくはなく、真の人間を造ることを使命とする。
第2章
子弟が将来いかなる地位に就いても人から信用せられ、いなかる仕事に当たっても容易に習熟する容易のできておる、そういう人間を造ることが教育の主眼である。
第3章
将来を担う子弟が、明日の行路を誤たず、信念と勇気をもって進む為に要するものは、単なる知識・理論や技術でなく、人間の歴史・恒久的な原理であり、典型である。
第4章
教師は漫(みだ)りに人を教える者でなく、まず自ら善く学ぶ者でなければならなぬ。
第5章
教師は一宗一派の理論や信仰を偏執して、之を子弟に鼓吹してはならない。
第6章
教師は学校と教壇をなおざりにして、政治的・社会的活動をしてはならない。
第7章
現代が経験している科学・技術・産業に於ける諸革命と相応する理性的・精神的・道義的革命が達成されねば、この文明は救われない。その「革命への参加」は、教師において、いかなる階級奪権闘争でもなく、もっと内面的霊的な創造でなければならぬ。
(私の感想)
安岡先生の言葉は、いつも感心するのですが、人間として日常の生業(生活)は昔と変りませんが、時代と言うか人の生きる領域は、大きく変化して来たと思います。
文中に何度か出てきそうな、先生がよく使われる国家・民族という言葉が、現在では「地球」「生命」「民族」「地域」とかの言い換えられているように思います。
以前書きました、作家マイケル・クライトンの言葉ではないですが、NHKの特別番組の最後の言葉は、「地球の危機を救える理念は゛LOVE(愛)゛である。」と述べられました。
言語は違えど、世界共通の人間として「存在意義」は同じと考えています。その人間性を培う素養の基を育てるのが、親・教師の行うべき「教育」だと思います。
尾崎行雄の言葉ではないですが、今までの人生は全て経験で、これから始まる生活が本番の「人生の本舞台は将来に有り」の意識が、変化が速さを増す現代に生きる人としての「資質」と思っています。
それと、安岡先生の言葉とは違いますが、多忙な教師として職場環境ですが、他の分野の勉強や市民活動にも積極的参加して、教師自身が色々経験をし、視野を広げ、学ぶ姿勢が大切と思っています。親も教師も日々勉強と思います。
そう言いながらも、教育することの難しさは、今の昔も変らず時々の当事者が考えて来たのだと、歴史書を読みながら思っています。1週間前から、頭に残っていたことを、母校の同窓会の話題(新聞投稿文)と合わせて書きました。
何か、感想頂ければ幸いです。