相手の身になって考える能力は<人間社会だけに存在するものらしい>〜40年前のSF映画『プレードランナー』〜
ここ数日、太平洋戦争のことを、ウクライナ戦争の発言者たちが語るようになった。
真珠湾奇襲攻撃
原爆投下
では、太平洋戦争は、どこから始まったのか?
大航海時代から続く、殖民地支配の歴史から、領土拡大の戦争が何度も起きた。第二世界大戦後、各地で独立運動(紛争)も起こった。
太平洋戦争が終結した時、もう国同士の戦争は無いと思っていたが、実際には、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争、アフガン紛争、コソボ紛争、チェチェン紛争、アフリカでも未だに戦火が消えることがない。
人間の愚かさが、そこには見えて来る。
本日の熊日コラム『新生面』に、40年前のSF映画を通して、現在のウクライナ戦争について書かれていました。
最後の部分を転載すると、
(以下、『新生面』より)
『アンドロイドは!』に戻れば、著者のディック氏は、人間とは何かという問いに「親切であること」と答えた、と訳者のあとがきにある。どんな姿をしていようと、どこの星で生まれようと、親切な存在はすべて「人間」であると。誰もが人間であれば、と夢想する。
(以上、本日の熊日コラム『新生面』より)
企業倫理にも、「親切、丁寧」の言葉をよく耳にする。
SF映画『プレードランナー』のアンドロイドの原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の中に、以下のことで人間を表現しているとありました。
(以下、熊日から転載)
人間そっくりのアンドロイドを見分けるために共感力を調べる場面がある。アンドロイドはパスできず、相手の身になって考える能力は<人間社会だけに存在するものらしい>と主人公は思う。
(以上、『新生面』より)
21世紀は"共感の時代"と語った人が多くいました。
共感とは、ある意味相手を思いやることですが、戦争になると、自らの命を守る、自らの主張が正義、自らの目的達成まで、相手は全て悪となります。
だから戦争は始めてはいけない。
本日の熊日『新生面』は、国連の役割りが大きな意味を持つ、と訴えているように感じました。
人間の"共感力"は、今回のウクライナ戦争で通用するのか?
民間人の安全避難の要求を申し出た国連の動きに期待しつつも、平和を願う宗教家たちの活動にも期待したい。
とにかく、早い停戦と和平の話し合いを始めてほしいと願っています。