<原発事故を学ぶ>世界に知られることがなかった小国ベルラーシは、チェルノブイリの実験室だといまはいわれている国に。〜スベトラーナ・アレクシエービッチ(ノーベル賞作家)〜
日本の福島第一原発事故を福島の被災者の視点で捉えた『海を撃つ』を読み、さらに深く知りたくなり、チェルノブイリ原発事故に関する著書を探していたら『チェルノブイリの祈り』を見つけ、数日から読み出した、今日から気持ちを入れて読み出した。
スベトラーナ・アレクシエービッチ著『チェルノブイリの祈り』の冒頭にある若い消防士の結婚したばかりの妻の夫を看病する姿は、凄まじい。放射線に汚染された身体に寄り添い続ける看病に、禁止された面会どころか、毎日付き添う熱意に、看護婦たちがたじろくほどだった。
原発爆発直後、原発事故とは知らされずに、消化に当たった若い消防士たち、その1人の消防士の若い妻の愛情からの行動は、痛々しく、しかし鬼気迫る行為に感銘を受けました。
(以下、本より抜粋)
>病室から廊下にでる。壁際のソファーにいく。彼らを見ないですみますから、当直の看護婦にいう。「夫は死にそうなの」。彼女は答える。「じゃあ、あなたはどうなってほしいの? ご主人は1600レントゲンもあびている。致死量が400レントゲンだっていうのに、あなたは原子炉のそばにすわっているのよ」
ぜんぶ私のもの、私の大好きな人。
それからあと、最後のことは、きれぎれにしか覚えていません。断片的にしか。
夜は彼はそばの小さな椅子にすわっていました。
(以上、『チェルノブイリの祈り』より)
ノーベル賞作家のスベトラーナ・アレクシエービッチ自身のインタビュー記事が『チェルノブイリの祈り』に、本の冒頭に掲載されています。
チェルノブイリ原発事故
ベルラーシの国とは
スベトラーナ・アレクシエービッチさんは、作家としてよりベルラーシ国民のひとりとして書かずにいられない思いを語っています。
(以下、本より抜粋)
>私はここに住んでいる。チェルノブイリの大地。ほとんど世界に知られることがなかった小国ベルラーシに。ここはもう大地じゃない、チェルノブイリの実験室だといまはいわれている国に、ベラルーシ人はチェルノブイリ人になった。チェルノブイリは私たちの住かなり、私たち国民の運命になったのです。私はこの本を書かずにはいられませんでした。
(以上、『チェルノブイリの祈り』より)
この2つの引用文が、なんと冒頭に書かれているのです。これから本文なのですが、現場のリアル話に引き込まれています。