東日本大震災から7年、熊本地震から1年11ヶ月、いざという時の心構えが大事と思いました。

ノグチ(noguchi)

2018年03月12日 06:17

東日本大震災から7年、熊本地震から1年11ヶ月、いざという時の心構えが大事と思いました。

昨日は、東日本大震災から丸7年目の3月11日、サッカー大会から帰りテレビを見ながら7年前の津波、その後の支援活動を思い出していました。

押し寄せる壁のような津波、田んぼ、街を飲み込み、あるもの全てを引き波が持ち去る映像を思い出します。

熊本の若い仲間たちが、3月16日の夜8時過ぎに、熊本市の上通り商店会のビルの一室に30人が集まった。口々に、「何かしたい」「いても立ってといられない」「東北に支援物資を届けよう」「でも、原発の爆発もあり、どんな方法があるか、ルートはどこから行くか」等々、言葉が出た。

30人の思いは、東北に行くこと、支援物資を集めること、集荷期日は3月22日、それまでみんなで仲間へ発信することにして、まだ震災の国の発表もないのに、団体名を「東日本大震災熊本支援チーム」とし、物資の集荷場所を、宇土市の社会福祉協議会に集めること、私が支援チームの事務局長をすることになり、県内企業の寄付集め等をお願いするため、市民活動仲間の熊本市の会計事務所代表の栗谷利夫社長に連絡して、支援活動がスタートしました。

18日夜に、さらに仲間が増えて、もう一度準備会議し、21日土曜日から物資が集まり始めました。22日の日曜日には、なんでもありの支援物資の仕分けする作業に集まるスタッフが少なかったのでどうするか前日は悩んでいたのですが、当日集まった人は100人をはるかに超えて、物資の仕分けはバケツリレー形式で出来、3時間足らずで終了、一番時間のかかる衣服の仕分けも無事に夕方前には終了できました。

私ともう一人が、米3トン、水5トンが集まっていたので、防犯のため支援物資と一緒に一晩泊まりました。23日の月曜日の物資トラックに積み込むにも30人が会社出勤前に集まり積み込みを手伝ってくれました。支援物資を積んだトラックは、ボランティア8人、1トントラックのレンタカー3台、総重量15トンの物資を積んで23日昼前に東北に出発しました。翌24日の夜には、福島県相馬市の避難所に物資を届けることができ、そのほか、石巻市、陸前高田市へボランティアが入り、約2ヶ月間、集中的に支援物資集めと現地のボランティア活動を行いました。

以来、毎年5月末に、それぞれの縁がつながった地域の支援活動の報告会を開催して来ました。今年で7年目、東北の被災地は、高台移転の開発、住宅、商店街の移転と進んではいますが、まだまだ復興途中と、昨日のテレビで確認した気がします。

2年前の4月14日夜の震度7の地震が襲った熊本県、さらに丸一日後の深夜1時26分に起こった本震で、さらに被害が拡大し、それから一月以上続く車中泊が始まりました。居場所がないくらい集まっていた避難所となった小学校には、当初物資がなくどうなるのか不安な支援活動が続きましたが、2日目から徐々に県内外から集まり始めました。

あれから2年、被災家屋の公費解体が終わり、熊本もやっと復旧復興が本格的に動き出したと思っています。東日本大震災から7年まだまだ復興途中、熊本地震から2年これからが復興の始まりです。

東日本大震災の支援活動で経験したこと、九州内の二度の北部豪雨の被災地へのボランティア活動の経験、熊本地震の経験から、地震・雷・火事、と言われる災害に加え、最近は火山の噴火も続く日本列島、災害はいつ何処で起こるかわかりません。常々、災害が起こることを想定して、それぞれの家族が、自ら生き残る方法や逃げる知識を身につけ、起こった後は自助・共助の意識で、1週間〜10日間命をつなぐ工夫をしなければと思います。

東日本大震災から7年の命日に、地震被害と支援活動、それと自らの命を守る工夫、自助・共助の支援活動を思い出し、日常の“あたりまえ”の生活を大切に過ごすことに心がけなければと思います。

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