いけないは自分のもの、評価は他人のもの(勝海舟)
いけないは自分のもの、評価は他人のもの(勝海舟)
現代の政治評価(リーダーの評価)は、とても短い感じを受けます。アメリカの英雄的大統領になるだろうと思われる故ジョン・F・ケネディ氏は、不幸にも凶弾に倒れた。またその弟のロバート・ケネディも暗殺された。しかし、かれら兄弟の成し得た成果は、いまでも語り継がれている。ただその成否は、後の歴史でしか評価でないことを、両人が語っていた。
「ケネディの遺言」に、政治の4つの理念「勇気、判断、尊厳、献身」で、50年後、100年後に、ケネディ大統領の仕事の評価が問われるとあった。
これに似たことを、幕末維新で大きな功績を残した元幕臣の勝海舟が語っている。作家の童門冬二氏が現代語訳で、解説しています。童門冬二著「勝海舟の遺訓」より、
(以下、転載)
今日したことの評価は今日求めるな
~大きな人物というのはそんなに早く現れないよ~
海舟の持論である。最初に揚げた、
「行ないは自分のもの、評価は他人のもの」
という態度に一貫している。勝は、大きな人物が世に現れるのは、だいたい百年単位だ、というようなことを言っている、それも、その人物が書いた自叙伝とか、何かによって現れるのではなくて、百年二百年経つと、同じように大きな人物が再び出るためだという。その人物が後先のことを考えているうちに、何百年も前に、丁度自分の意見と同じ意見をもっていた人間を発見するからだ。そこで、そいつが驚いて、
「なるほど偉い人間がいたものだな。二、三百年前に、おれと同じような考え方をしていたのだな」
と騒ぎ出すようになって、その過去の人物が知られてくるのだという。知己を千載の下に持つというのはこのことだ。
さらに、勝は言う。
「ところが、今の人間はどうだ。そんな奴は一人もいない。今日のことは今日知れて、今日の人に誉められなくては承知しないという尻の穴の小さい奴ばかりだ。大勲位だとか、何爵とかいう肩書をもらって、俗物かわわいわい騒ぎたてられるのをもって、自分は日本一の英雄豪傑だと思っているのではないか。よく考えてみよう。維新後、まだ三十年しか経っていない。大人物が現れようとしても現れるはずがないのだ。今日、自分から騒ぎ出して、いくらか俗物に知られている奴等は、そうだな、今から三十年も経たないうちにすぐ忘れられてしまうだろう。若い連中は、まだ三十年や五十年は生きているだろうから、果たしておれの言ったことが嘘か本当か、自分の目で確かめてみたまえ」
現代にもぴったり当てはまる言葉だ。
(以上、「勝海舟の人生訓」)
リーダーたるものは、目先の騒ぎに翻弄されることなく、社会変化に注目し、世界に動向を見極めながら、長期の視点から、判断を下すことが大事と思います。
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