もっと原発事故についての政府と企業、被災者、市民との意見の場が必要では

ノグチ(noguchi)

2014年06月22日 20:14






もっと原発事故についての政府と企業、被災者、市民との意見の場が必要では

一日雨の熊本です。

新聞の特集欄に、チェルノブイリの記事がありました。見出しは、

9歳で終わった子供時代

輝いていた故郷 朽ちて

ウクライナ 移住33万人

チェルノブイリ近郊の町プリピャチも元住民のアレクサンドル・シロタ氏の事を取り上げてありました。

事故後、丸1日半は何も政府は、原発事故の情報が知らされず、周辺住民は生活していた、とあった。事故は、1986年4月26日午前1時過ぎでした。避難の呼びかけが始まったのは、27日の午後だった。事故後のプリピャチの放射線量は、IAEAの「即時避難」の20倍以上のあった。見えない放射線の怖さです。

避難は、大人と子供と分かれて避難させられたそうだ。放射線のことを知らない子供たちは、避難のバスの中で、はしゃいでいたが、南部の海辺のキャンプに着いた後、次々に体調を崩して行った、と。

記事のエッセイストは、9歳で被ばくした後、16歳まで入退院の繰り返しだった、あった。エッセイストの母は、怒りと絶望を詩の形で書き続けた。政府と被害者の協議の場で読み上げたそうです。

「死さえも私たちにはつらくないけど 死に至る過ちが繰り返さないのであれば・・・」

これを聞いた政府側は、押し黙ったそうです。アレクサンドルさんら元住民は、朽ちて行く街並みの保存を働きかけているという。
輝いていた故郷に「人と技術がもたらしたもの」が忘れられることがないように。
(以上、熊本日日新聞から引用)

チェルノブイリ近郊から移住した住民は、33万人以上。事故後に4号機は石棺で覆われた。溶融した核燃料は今後10万年、人間が封じ込めなければいけないと専門家が指摘している。

日本で、もっと原発事故についての政府と企業、被災者、市民との意見の場がもっとたくさん必要な気がしています。

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