一家譲なければ一国譲に興る。紛争地域におもう、譲と仁はあるか?

ノグチ(noguchi)

2013年07月02日 09:26

一家譲なれば一国譲に興る。紛争地域に思う「譲」と「仁」はあるか?

朝の日課、ウオーキングと山林の下草刈りを終えて、新聞目を通し、朝読書で中国古典の『大学』の解説書を読みながら、ニュースのデモを思い出し、下の言葉に至りました。

一家仁なれば一国仁に興り、一家譲なれば一国譲に興る

(意味)上に立つ者の家に仁や譲の徳がゆきわたっていれば、下々の者もそれを見習って、国中に仁や譲の気風が興ってくる。政治論としてはいささか甘いかもしれないが、上に立つものは自ら姿勢を正すところに意味がある。
米沢藩の藩校「興譲館」は、上杉鷹山公がここから取っている。先人の思いが伝わってくる。

また、家の中に、仁や譲があふれるにはどうすえうのか?
家族を和合させるには、まずわが身を修める。「修身」は自分の徳を磨くことが、もちろん必要ですが、 中国古典の『大学』には、えこひいきのない公平な対応とある。

孔子の生きた中国は、おおむね大家族で、三代、四代にわたる何十人の家族で、中には妻妾同居の家も珍しくなかった。それを和合させるのであるから、偏りのない公平性が強調されたのかもしれない。

さらに、さかのぼって修身について解説は、「身を修むるはその心を正すに存り。人間心には「性」と「情」がある。性は生まれもっている徳性。情は感情・欲望だが心を正すことを曇らせる。

『大学』の教示に「修身、斉家、治国、平天下」が根幹にあるのですが、役を行う人は、自分の家庭の和合を図り、その前に自分の徳性を磨くこと「修身」が必要とある。

上杉鷹山が藩校の名前に使うほど、「譲る」心を育てることが大事だと最近つくづく思います。奪い合えば足りないが、譲り合えば余る。家も国家も譲り合う気風を広げたいものです。

これから、地域の社会福祉協議会の総会はあり、でかけます。

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