社会活動修行17年、色々な出会いが人生の肥料に 

ノグチ(noguchi)

2007年09月03日 10:48

社会活動修行17年、色々な出会いが人生の肥料に 

 地元新聞の数行の催し物の案内「横井小楠先哲と松前重義総長の理念を学ぶ」を読み、ためらいもなく、まったく知らない大教授の私塾の門を叩いたことで、今の私があります。
 17年前、毎月熊本の大きなお寺の本堂での講話は、「今まで聞いたことのない話・・・」ばかりでした。特に、勝海舟の遺作「氷川清話」で読んだとき、

「世の中に怖い人が居る、一人は西郷隆盛、もう一人が横井小楠」

と言わしめた、熊本の幕末の思想家です。明治2年凶刃(暗殺)に遭い、維新の政策実現半ばで、亡くなるのですが、その思想は面々と志士たちの心に以心伝心と広がり、明治の隆盛を作ったと思っています。

 小楠先哲の「大儀を四海に布かんのみ」の言葉を今読み返し考えると、大儀=世界平和ではと考えています。紛争が明治以来絶えない、アジア・アフリカ・中近東は、先進国の利権争奪戦に翻弄されれ、後進国の市民が災いに巻き込まれいます。

 そのことを勉強したくて入った「くまもと地球市民塾」から、17年師の横で催し物や出会いの場で、先輩の言動を学びながら今あるのですが、当時は自分自身と相談する機会でもありました。「自分がどう生きるか」常に考えて来たように思います。

 建築士としての仕事(収入も含め)、地域社会との関わり(ボランティア等)、環境問題への関心と、」興味の赴くままないやって来ました。知人からも「野口は、はたして、私は大丈夫か?」と言われつつも、先人や師の行動を見て、「仕事は何のためにするのか?・・・」と日々問い続けて来たように思います。

 そして人生の転換点の重要なポイントに、先輩方との出会いと言葉がありました。
22歳、27歳、32歳、37歳、42歳、47歳・・・と5年ごとに色々決断がありました。その中でも、22歳の建築専門学校の進学、32歳の独立、42歳の時の妻の大学進学+私の男女共同参画の関東研修が、3大転換点と思います。この3回の決断は、人の誘いであり、機会(チャンス)だったと思います。 

 ここ10年、独自に異業種交流会を主催を1,000名を越える方と出会い、語って来ました。全て、自分では良かったと思うのですが、世間の賛否を気にせず、勉強(肥し)になって来ていると思います。社会勉強の始まりは、数行の新聞案内からですが、家族の変化も含め、色々経験して来ました。でも、全て経験になったと思っています。これは、本で学ぶものでなく、経験として理解するものと思います。

 人生に無駄は無い「全て経験」と先達が訓示していますが、実学の世界は、成功・失敗等を経験し、考え、悩み、時には驕りを抑制させる僻み、中傷等も受け、更にそこで悩み・反省して育つ「心」こそが、自信になると最近思うようになりました。
 私のジーさんは口癖のように、「世の中のためにならないいけいない」と言いつつ、酒を飲んでいたのを思い出します。やはり言葉は、心に残るもので意識の中に常にあります。そこで少しでも、できることを無理をせずに地域活動も含め協働でできたら良いなと思っています。

 色々ご意見を頂けるとありがたいです。

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