「三賢堂」(熊本)、「八聖殿」(横浜)建立の意図‐安達謙蔵‐

ノグチ(noguchi)

2010年06月05日 18:43

「三賢堂」(熊本)、「八聖殿」(横浜)建立の意図‐安達謙蔵‐

 今日は一日、社会活動の総会、友人の新聞記者から誘われた歴史顕彰事業に参加、今夜は地元の文化・芸術を進行するボランチィア団体の研修会です。重なるときは、重なるのですね。

・熊本の元気は、女性エネルギー?
 午前中は、熊本県央域の男女共同参画ネットワーク「熊本県つばさの会」うき支部の総会に参加しました。年齢は、私以上の方で、多くが女性です。しかし、地域リーダーを経験したつわもの達ばかりで、終始、意見交換に圧倒されいました。地方は、女性が頑張っていると思います。私は、熊本県男女共同参画社会づくりの推進員(あんまり動けてませんが)をやっています。

 午後は、大正明治期に、熊本県出身の国会議員として活躍した故安達謙蔵が、建立した「三賢堂」を顕彰する報告会に参加しました。案内をした方は、横井小楠について10年前に、元旦の特集で7ページの及ぶ「横井小楠」ついての紙面を編集した方で、熊本の方は、熊日に月1回の「いひゅうもん」を連載している方です。
 

    三賢堂(外観)

・横浜に「八聖殿」、熊本に「三賢堂」
 安達謙蔵は、長く国会議員を務め、国政の重鎮でした。政界を引退を前に、横浜に「八聖殿」、熊本に「三賢堂」を建てた、精神修養の重要性を全国に広めようとした人です。これだけ読むと、神道の普及、戦争へ精神形成に思えますが、「八聖殿」は世界の8人の聖人の立像を同じ建物の安置しています。


    三賢堂(内部)

・八聖殿
 その八聖人は、「キリスト、ソクラテス、孔子、釈迦、聖徳太子、弘法大師、親鸞、日蓮」、です。昭和8年ですから、日中戦争はまだ始まっていませんが、当時の時世からすると、天皇の系譜を書くのが、万民受けしそうですが、なかなかの見識があると思います。

・三賢人は、菊池武時、加藤清正、細川重賢
 熊本の「三賢堂」には、菊池武時、加藤清正、細川重賢の三人の座像を安置しています。建物もユニークで、円形の平面を持ち、当時は珍しい鉄筋コンクリート構造で、ヨーロッパの教会ホールを思わせる作りになっています。
 彫刻の説明をされた彫刻家の石原昌一氏は、イタリアのメディチ家の墓の近くのあるホールによく似ていると説明をされました。建築的にも貴重な遺産として、今後、保存修復が必要と語っていました。


  (横浜)八聖殿

・安易に呼びかけに誘われて
 数日前に、「良い話だから、聞きに来て欲しい」の電話でした。私は、「これは、人が集まっていないな」と思い、一番前で聞いてあげようと、早めに着き前列に座りました。時間がだんだん近づくと、続々と人が集まり、50席くらい椅子が用意してあったのですが、それでは足りず、床にゴザを敷き、100名近い人が、三賢堂の設立趣旨、銅像の素晴らしさ、建築的な評価を話を聞きました。

 あまり楽しい話でないので、昼過ぎの眠たい時間、でもしっかりと賢人の顕彰を始めた、安達謙蔵氏の思いを知ることはできました。イデオロギーや、政治的な意図ではなく、人間の本来の生き方、良識、胆力などを知る機会に設けるために、建立したことを知り、郷土の先人の素晴らしさを知ることが出来ました。

・安達謙蔵氏は、「選挙の神様」
 ちなみに、安達謙蔵氏は、「選挙の神様」と言われた方だそうです。現在の民主党の小沢一郎氏ではないですが、けっこうカリスマ的なイメージを思い起こしました。

・盛大な祝賀会(昭和15年)
 当時の新聞のコピー(九州日日新聞 昭和15年11月18日・月曜日)のトップに掲載され、「建立の祝賀会には、来客一千名が参加し、勢大に挙行された」とありました。当時の国民の中に、風紀の乱れ、社会の混乱を感じての「八聖閣」、「三賢堂」の建立だったのかもしれません。

 熊本在住の方で興味ある方は一度「三賢堂」へ、横浜在住の方は「八聖殿」を、訪れてみてください。
 実は、私は「三賢堂」には、生まれて初めて訪れました。郷土のこと、もっと知らなければならないと思いました。
 研究報告会は、城西校区、「水と緑と蛍の音楽会」の中で、開催されいました。

・三賢堂を見学するには
 三賢堂は、中を見るには事前に熊本市役所の文化財課までご連絡ください。日常は、鍵がかかっていて、中へ入れません。 

・三賢堂
 http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?type=A&id=45
 住所:熊本市島崎5丁目32番27号
 電話番号:(096)328-2740  熊本市文化財課
 料金:無料

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