日本人は、良く対比的な言葉を使う。しかしその中間を占める部分に重要な問題が隠れているように思う。
<社会のグレーゾーン(中間)>明暗、上下、天地、光陰、など日本人は、良く対比的な言葉を使う。しかし、その中間を占める部分に重要な問題が隠れているように思う。
今日の議会の質問で、発達障がい児が、学校や地域での生活について取り上げるのですが、16年前スペシャルオリンピックス(知的障がい児・者の体育大会)の夏季大会を熊本で開催する時、チャリティートーチラン(聖火リレー)を宇土の市街地で開催しました。参加要請と大会周知のため宇土市内にある学校の支援クラス(当時は障害児教室)の現状調査、聞き取りをして回ったときに、担当教師から、
「ここに通う子ども達より、むしろ一般クラスにいるグレーゾーン(障がい児に近い子ども)たちが、いろいろな問題を抱えている」
の声をたくさん聞いた。いわゆる現代での発達障がい児童への対応でした。当時は、まだまだ発達障がいという言葉が広まっていなかったので、グレーな子どもとは、学習について行けない、あるいは不登校の子どもたちのことです。
10ほど前から、国の障がい児童生徒への対応が大きく変わった。また、発達障がいや学習障がいという言葉も広がり、保護者たちが、子どもの状況を受け入れ、それに合わせる学習支援に取り組むようになって来た。
現代で、増設、増設の発達障がい児童生徒の放課後デイサービスはもちろんですが、学校内にも教室に入らない子どもの居場所(昔は保健室登校)や、学校に通えない子どもの学びの場、フリースクールが増えてきました。それを認める社会にもなってきています。
社会が、さまざま障がいを個性として受け入れることが広がり、学校も大きく変わってきていると感じます。
昔の健常者と障がい者という明暗の中間(グレーゾーン)にこそ課題が隠れているの現場の声は、私の大きな気づきになりました。
今朝は、学校のことを書きましたが、産業にも、地域社会にも、グレーゾーンは存在しています。格差社会と言われる現代、コロナ禍の厳しい社会情勢だからこそ、支援していないグレーな人たちに目を向けつづけることが必要だと、発達障がい児童生徒の変化から思いました。
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