たった一言、されど一言、一言が人生をつなぐ。

ノグチ(noguchi)

2017年04月13日 08:15

たった一言、されど一言、一言が人生をつなぐ。

おはようございます。昨日、地元スーパーに所用で買い物に行くと、入り口に入って一人の女性とすれ違った。その女性が「野口君?」と声をかけられた。ハッとしたが、名前が直ぐに出てこない。「同級生の〇〇です。(市街地の)□□に住んでいます」と自己紹介され、その場所はつい最近、活動報告を配布したばかりの場所で、「応援してるよ」とエールもいただいて別れた。別れ際の一言に元気が出た。言葉の力とはすごいなと思います。

最近紹介する環境活動家のスーパー老人の木内孝さんが、幼稚園の時ジフテリアにかかり、戦時中だったこともあり、命か危ういところまで症状が悪くなったが、親戚の方の協力で、救急搬送されギリギリのところで命をとりとめた。数日間は、治療のため食べ物も食べれなかったが、医師から固形物を食べて良いと許可が出て、ビスケットわ与えられた。

(以下、『日本人の見識』より転載)
・・・、久しぶりの、何日かぶりの固形物だった。大変嬉しかった。私は枕元にいた父に向かって、
「こんなおいしいものはない。お父さん、お父さん、これ食べてみてよ。一緒に食べようよ」
と言った。その時父は、その一言を聞いて感動し、感激し、涙したという。これは、それから半世紀以上経って、父から聞いた話だ。
戦時下、死ぬか生きるかの病魔に襲われ、それでもなんとか立ち直って、初めて口にすることを許可された固形物のビスケット。それを食べながら、「一緒に食べよう」と私が言ったことを、父はそれから五十年以上経っても忘れなかった。
たった一言、されど一言、それは親子の関係でも同じだ。
(以上、本より転載)

我が子の死に瀕した病の中、回復に向い始めた状況を見ていて、父に向かって「一緒に食べようよ」と発する言葉もすごいと思いますが、そのことを50年以上も忘れずにいて、多分戦時下の病室いた頃の自分よりも、はるかに年をとった我が子に、幼稚園の時にジフテリアになって、瀕死の縁から復活して語った言葉に、自らが涙したことを伝える。素晴らしい、と思います。

言葉の力、一言の力。短く語る言葉にも心を込めて語らねばと、昨日の出来事、今朝の読書から、学んだ気がします。

たった一言ですが、人と人つなぎ。何気なく語った一言が、50年の時を超えて思いが伝わる。一言が、人生を活きるエネルギーとなるのだと思います。

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