学問は、いま生きている人々の役に立たなければならない(秋山玉山)
名君:上杉鷹山と細川重賢の人づくり
実は、もう一人いるが、幕府の宰相である老中筆頭だかったので、諸侯を評価する側で、名君に上げるのは、少し違うとのとことだか、やはり江戸時代の素晴らしい政治家と言えると思います。
米沢藩、肥後藩の両名君は、人づくりに力を入れた。
上杉鷹山は、「人はすべての世の中をよくする“火種“である」と唱え、興譲館という藩校を作った。
興譲というのは、「譲るという人間の徳を興す」の意味。「譲る」という考えがたいは、四書五経の中の『大学』という本を貫く根本思想だそうです。
細川重賢(しげかた)は、時習館という藩校を作った。名前の由来は、『論語』のなかの、「学びて時にこれを習う。またよろこばしからずや」から取った。
時習館の校長の秋山玉山という学者は、「学問は、いま生きている人々の役に立たなければならない」という、「実学」を重視した。
私は、熊本の幕末の政治思想家だった、横井小楠の顕彰活動に、20年関わって来ましたが、小楠の理念は「実学」だった。脈々と200年近く、肥後学問の根幹に根付いていたと思います。
小楠の「君子の道は、身を修むるにあり」は、論語の教示を実践に移す、実学が強く詠われています。
先人の残した功績を学び、温故知新の気持で、新たなチャレンジをしたいものです。