〈西日本新聞〉水俣病研究の第一人者、原田正純さんのお別れ会
水俣病研究の第一人者の原田正純氏のお別れの会を、報じる西日本新聞web の記事に、目が止まった。
生前の原田正純氏と、一度語ったことがある。優しい目をされながらも、いざ水俣病のことになると、キラッと目が輝き、厳しい口調になることもありました。
先生は、熊本大学医学部を退職し、熊本学園大学で、[水俣学]なるテーマの講義を始められた。そんなに時期に、原田正純氏と語ったのですが、印象に残っている言葉があります。それは、
「熊本大学は東京を見ている。熊本学園大学は、足元の熊本のことを中心に考えている」
原田正純氏が熊本学園大学に移られて、そう経たないうちに、熊本学園大学の水俣病センターができ、医学と社会学を合わせた学問を研究する現地研究センターができ、新たな分野を創り出されたと思います。
原田正純氏は、講義では難しい話を、私のような薄識のものにもわかり安く教えてくださる方でした。大学教授は、難しい言葉で、難しく話す方も多いですが、水俣病について多くの人びとに、語り続けられたように思います。
最後に、原田正純氏のご冥福を祈るとともに、水俣病の更なる研究が進むことと、現在でも水俣病の苦しむ方々が、一人でも多く救済されることを願います。
〈西日本新聞web より〉
>「もっと長生きしてほしかった」「遺志を継ぎ、頑張りたい」。14日、熊本市内で行われた水俣病研究の第一人者、原田正純さんのお別れ会。多くの人たちが77歳で逝った原田さんに最後の言葉を贈った。(略)
>ジャーナリストの宮沢信雄さん(76)=宮崎市=は「1969年に発足した水俣病研究会で彼と付き合えて僕は幸せだった。本当にあの人は全人的。たまたま医者だっただけで、天が水俣のために用意した、人間として得難い人だった」。=2012/06/15付 西日本新聞朝刊=(略)
http://nishinippon.co.jp/nnp/item/307774