(日本一のスパイ)宗方小太郎は、日本の「国士」なり~熊本生れ

ノグチ(noguchi)

2009年04月07日 18:04

(日本一のスパイ)宗方小太郎は、日本の「国士」なり~熊本生まれ~

 幕末の政治思想家、熊本の横井小楠生誕200年の顕彰事業に関わる中で、明治期に多くの若者が大陸へ渡ったことを知った、その中で熊本出身者も多く、その数百二十名にのぼった。

・明治の志士たちが大陸へ多く渡った
 これは、西郷隆盛の「征韓論」が、ロシアの南下防衛策だったに感化され、列強の利権争いと清朝の内部抗争で苦境にあった中国・アジアの安定・発展を目指したと知った。その中で際立つ活躍をしたのが、熊本県の宇土出身で、東方通信社(共同通信の母体の一つ)の社長で、諜報員(スパイ)だった宗方小太郎だ。

・宗方小太郎の人物像
 さっそく「評伝宗方小太郎」(大陸浪人の歴史的役割)を読んだ。中国の作家が書いているのですが、その評価は高く、見識、スケールの大きさ、行動力、勇気、危機管理、全てにおいて、まるで幕末の志士を髣髴(ほうふつ)とさせる活躍したと書かれていた。

・なぜ熊本出身が多かったか
 なぜ熊本の青年たちが大陸を目指したか、それは幕末の熊本藩が、学校党と実学党の論争のため、明治維新で活躍の場を逸したことも要因があると知った。だから、混乱するアジアの安定と日本の安全保障のために、活躍の場を大陸に求めたのだそうだ。また西南戦争のリーダーの一人、佐々友房の影響も大きいとあった。

・日清戦争の勝利に貢献
 さて宗方の活躍は、中国大陸全土に及ぶ緻密な情報収集と人脈形成、さらに同士たちと貿易促進事業や中国研究の学院を設立、さらに新聞社の経営と多岐にわたった。日本海軍の宗方の信頼は絶大だった。宗方は、日清戦争開戦直前まで、中国軍の基地に潜入し、情報を刻々と日本へ続け、数では劣勢だった清の北洋艦隊に大勝できたのは、宗方の通報が一因だったことを知った。

・日本を護るため諜報活動続けた「国士」
 表向きは新聞社社長として、地元中国の新聞にも「興亜思想」の論説を掲載し続けた。宗方は、列強の圧力から日本を護るため、身命をかけて諜報活動を続けた、正に胆識(たんしき)を持つ「国士」と思う。
 大阪大学名誉教授で、近代史に詳しい猪飼隆明氏は、宗方小太郎を「(当時の)日本一のスパイ」と語っていた。明治・大正期に活躍した、まだ熊本でも知られていない偉人の一人と思う。

*参考資料:馮正宝(ひょうせいほう)著「評伝宗方小太郎」(熊本出版文化会館)


<以前の日記>
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(4/6)主人は一家の規範なり ~安田善次郎家訓~
(4/5)とらわれない境地で生きる 「六然」



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