(俳句と秋)しばらくは風を疑ふきりぎりす~林閒石~
一般の人々の仕事は、単調で変化が無く、刺激が少ないと思います。(私も同じ)
テレビ、新聞に出る人々は、華やかで、変化に富んでいます。(大変と睡眠不足)
どちらが人生にとって、良いかは定かではありません。(終わる時の感想)
華やか無い舞台に立つ人々の下で、ちいさな仕事を少しづつ進めて、形にして行く穂とたちが居ます。報道は、その結果「催し」「出来事」しか報じませんが、重要なことは、つつましい仕事の積み重ねがあってこそ、大きな事業が成就すると思います。
聖人マザー・テレサ氏には、申し分けないですが、我家のトイレ図書の一冊に、『マザー・テレサ「日々の言葉」』があります。今日の一言が、心に留まりました。
(本文)
私たちは、つつましい仕事から、離れてはいけません。
というのは、この仕事を誰もしようとしないからです。
仕事が小さ過ぎるということはありません。
私たちはとても小さいので、小さいやり方で物事を見ていのです。
たとええ私たちが誰かのために、ちょっとしたことをしたとしても、
全能の神は、全てを偉大なこととして見て下さいます。
偉大なことのできる人たちは、世の中にたくさんいます。
けれど、つつましい仕事をする人たちは、本当に少ないのです。
~マザー・テレサ「日々の言葉」~
生活は変化の無い単調なものです。妻が毎朝作る子どもの弁当作り、日常の業務、現場での変わらない仕事、地域の毎年続く行事や役割、PTA活動、等々、たんたんと日々が過ぎています。でも、その変化無い日々にも、時々喜びや悲しみ、悔しさ、達成感、等々、色々有ります。
変化無い日常を、感じることが家族も、地域も元気になる秘訣では無いかと感じます。
トイレ図書の一つに黛まどか氏の「知っておきたい『この一句』」がありますが、生まれた間もない感受性に高い、気分を表した秋の句があります。ご一読下さい。
・林閒石(かんせき)の俳句
「しばらくは 風を疑ふ きりぎりす」
(解 説)
秋風の中に生まれ出でた一匹のきりぎりす。歩くことも鳴くこともまだおぼつかない生まれたてもきりぎりすが、この世で初めて出あった風に、しばし身をとどめています。まるで風の声を聞いているかのように。
人生は風のようなものだ――といった人がいました。風がどこからやって来て、どこへ消えてゆくのか、それを確認できた人は誰もいません。命もまた同じです。私たちはどこからきて、どこへ旅立っていくのかを知っている人はいないのです。
(感 想)
周りに起る様々な変化を感じ続ける心こそ、とても大事ではと思います。
>この世で初めて出あった風に、しばし身をとどめています。
じーっと、立ちすくむきりぎりすの様子を思いこし、初めて小学校に行った時、高校入試の気分、社会人になって始めての仕事の日、何かで始めてスピーチをした時、・・・どきどきしながら、その場へ行った時のことは、ふっと「苦笑い」と共に思い起こすものです。
時には、新人の気持ちで、静かに周りを見回すことことも良いかもしれません。
*参考資料:いなます みかこ訳「マザー・テレサ 日々の言葉」
黛まどか編「知っておきたい『この一句』」
<以前の日記>
・(教養とは?)生活秩序に関する精錬された智慧
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=929789027&owner_id=2182841
<今日のニュース>
・川辺川ダム建設反対、熊本県知事が議会で表明(読売新聞 09月11日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=604401&media_id=20
~現行の計画を白紙撤回し、ダムによらない治水対策を追求すべきだと判断した~